手を取った瞬間、ロロの視界をまばゆいばかりの閃光が覆い尽くした。 キーンと、甲高い音が耳を貫き、痛みさえ感じる。 浮遊感に捕らわれた時だった。 微かに、風の音がして、きつく閉じていた目をゆっくりと開くと、砂の混ざった風が、側を駆け抜けていった。 「ここ、は……」 さっきまで街にいた筈だった。 見なれた市も、生まれ育った家々も、何ひとつ見えない。 あるのは、乾ききった荒野と、崩れかけた岩盤――いや、これは、柱だ。 大きな岩が転がっているが、縦に等間隔に並ぶ窪みは自然に出来たものではない。 恐る恐る手を伸ばせば、触れた個所の一部がからりと崩れ落ちた。 いくつも並ぶ柱と半分以上崩れた壁が奥に見えた。 足元に転がるこの岩は、柱の残骸だ。もともとは空高く伸びていたそれらは、長い年月、この場所に建っていたのだろう。 風化により、原型を留めるものは少ない。 けれども、かろうじて残る物は、人の手により作られた建造物だとロロにはすぐに理解できた。 父について行った先にあった遺跡。 あの時見たものは、半分以上砂に埋もれていた。 ここが何処なのか分からないが、四方を見渡す限り、遺跡が広がっている。 おそらく、かなりの規模であろう。 柱の形状を見る限り、渦巻き装飾の柱頭をもつイオニア式にも似ている気がするが、柱の頭上の部分を見る限りではコリント式にも見える。 「聖堂、いや、神殿?」 側に立つ壁に視線を向けた時だった。 ロロは息を飲んだ。 壁に描かれていたのは、レリーフだった。 ロロの身丈の二倍、いや、三倍はあるだろう壁一面に描かれていたのは、一人の人物だった。両手を空に掲げている。 その人物を中心として、人が平伏していた。 視線を横に移せば、今度は、何かのうねり、だろうか。 厚い雲から雨が降っている。 そして、また横に視線を移せば、今度は芽が出て、そして、成長している姿。 これは、木だ。たくさんの木々が生い茂っている。 横に続くレリーフ。木が生まれ、動物たちが生まれ、そして、最後にいたのは‐‐。 「人……?」 そこで絵は途切れていた。 その後に書かれていたのは、見慣れない言葉。ふと、影が落ちる。 顔を上げると、翠の瞳が見えた。 目を細め、彼はレリーフを見ていた。 微かに微笑みを浮かべているが、今にも泣いてしまいそうだった。 「あの、このレリーフ……」 「古い言葉だよ。古い宗教の言葉、 "恐れるな、わたしは初めであり終わりであり、また、生きている者でもある。 わたしは死んだことがあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。 そして、死と黄泉との鍵をもっている。” 一番初めに描かれていた人を表す言葉だよ」 言葉が途切れた瞬間、地が揺れ始める。 耳を突く轟音に、ロロは身体を強張らせた。地響きが辺りを覆い尽くし、見上げれば太陽から光が消えてゆく。 遺跡が徐々に飲み込まれてゆく。 逃げようと駆けだすが、すぐに追いつかれる。 気付けば、すぐ足もとまで暗闇が近づいていた。 ひっと、叫びを上げると同時に、ロロは暗闇に飲み込まれた。 暗闇に包まれる中、泣き声が聞こえた気がして、辺りを見渡した。 けれど、右も左も分からない。立っているかも分からない。 地の揺れはいまだにおさまらず、揺れは酷くなる一方だ。 ロロはその場に蹲った。 ガラガラと強い音が響き渡る。遺跡が崩れているのが分かる。 身体が震え始め、怖いと、叫び出しそうになる。 何故、こんなことになっているのか。 何も分からない。不安に押し潰されそうになる。 (誰か、……助けて!!) 強く願った瞬間、ふと、揺れが止まった。 目の前にいたのは、ルルーシュの知りあいだと名乗った彼だった。 蹲るロロの傍に膝を折った。 揺れがおさまったことに安堵したが、震えは止まらなかった。 「ここは、どこ、なんですか?いったい、何が……?」 「君が、望んだからだよ。ねえ、いいかげん出ておいでよ。気付いているんだろう?」 ロロに言ったのではない。 暗闇に包まれた先を見据えている。 ロロは暗闇にぼんやと浮かび上がる姿に目を見開いた。 深く日差しよけの布を被っている。 彼は、ルルーシュだ。 唇を噛み、苦しげに眉を寄せていた。 いつも笑っていた姿が嘘みたいに消えている。 「ルルーシュ、さん?」 「すまないが、ここから去ってくれ。……お願いだ。もう、思い出させないでくれ」 かぶりを振ったルルーシュは、目を伏せ、こちらを見ようともしない。 それは初めて聞く拒絶だった。 微笑みを絶やさなかった彼は、いつも温かく向い入れてくれた彼は、今はどこにも見えなかった。 ロロの胸に激しい痛みが走った。 何か言おうと口を開くが、渇き切ったのどでは、言葉を紡ぐことなど出来はしない。 ただただ、呆然と、ルルーシュを見つめるしかなかった。 涙が浮かんできて、けれど、泣くまいかと唇を噛みしめる。 ふと、肩を二度触れられ、見上げれば、励ますように翠の瞳とぶつかった。 綺麗な翠の瞳。暗闇の中でも、見失うことのない光に見えた。 ようやくロロは、彼の名を知らないことに気付いた。 彼はルルーシュを真っ直ぐ見据え、ルルーシュを呼んだ。 「ルルーシュ」 「すまない、スザク。俺は、憶病なんだ……ロロ、君は知らないだろう。俺は、この星の太古を知っている。あのレリーフは、かつてのこの星の姿だった」 この星は、かつて、水と緑に溢れた豊かな星だったという。 多くの動物たちが、人が住んでいた。 けれど、それは、多すぎたのだとルルーシュは言った。 「器には受け入れる限度がある。コップから溢れた水は、決して戻らない。溢れた人は争いをはじめ、この星は一度死んだんだ」 ルルーシュの紫の瞳から、一筋涙がこぼれ落ちた。 豊かな森は、切り倒され、焼かれ、砂漠とかしてゆく。 死んでゆく星と、消えてゆく多くの命。 「わかるか?星が、どれほど長い時間をかけて、傷をいやしたか。どんなに傷つき、苦しんだか、分かるか?」 だから、再び蘇った星では過ちを犯すことはできない。 彼はそう言った。そのために、海を狭めた。そうすれば、進化の過程は変わってくる。 そうして出来上がったのが、いまの力の弱い世界だという。 ロロは信じられなかった。 かつて、この世界は豊かだった。 それを滅ぼしたのが人だなんて、信じたくもなかった。 けれど、ルルーシュが嘘をついているとは思えなかった。 彼は、淡々と昔の地上を語っているけれど、白い肌は青白く、彼の身体は微かに震えていたからだ。 彼が語るたび、胸がずきりと痛んだ。息ができないほど、苦しい。 レリーフに刻まれていた絵が、ロロの脳裏に浮かぶ。 空に両手を掲げ、そして、多くの人に傅かれていた。 あの絵が、ルルーシュと重なった。 「あなたは、神様、なの……?」 「違う!!!……俺は、俺が何の力ももたない愚か者だから、皆を苦しめてしまった。命と同等でもある、この星を、多くの命を、大切な人すら護れない、役立たずなんだ……」 ルルーシュが何度も首を横に振る。 それと同時に止めどない涙が溢れだした。 彼の白い頬を濡らしてゆく。 ロロはたまらなくなって、彼の元に駆けだしていた。 「そんなことない!!あなたのお陰で、ナナリーは沢山のことを知ることが出来た。それに、僕だって! あなたの歌は、とても、優しかった。温かかった。それは、きっと、あなたが優しくて、温かい人だからだ。 優しい人だから、きっと、自分を許せないんだ。 僕は、あなたに会えて、とても、嬉しい。あなたが、何者であったとしても、僕も、ナナリーもあなたが好きだ。 だから、そんなに泣かない、で……」 言いたいことは、たくさんある。 それよりも、泣いてほしくなかった。 笑ってほしかった。 ルルーシュの細い体にしがみ付く。 もう少し、大きければ彼を抱き締めてあげられるのに、それすら出来ない。 悔しくて、視界がかすんでゆくけれど、ひたすら耐えた。 俯いた細い体は、それでも、小刻みに震えていた。 「ルルーシュ、君は、一人じゃない。僕が、僕たちがいる。それに、君を想ってくれる彼のような人たちがいる。君は役立たずでも、愚か者でもない。君がいてくれるから、僕は、僕たちはここにいられるんだよ」 翠の瞳の青年――スザクと呼ばれた彼がルルーシュの涙を拭ってゆく。 ルルーシュが目を見開いたのが分かった。 日に焼けた大きな手のひらがロロの頭を撫でていく。 その温もりは、太陽の匂いがした。 「ロロ、君は、水が欲しい?僕は、水が欲しいよ。ルルーシュ、君は?」 スザクが問いかけてくる。 澄んだ湖面のように凪いだ瞳。 ロロは、はっきりと頷いた。 そして、ゆっくりと顔を上げたルルーシュは、もはや、泣いてはいなかった。 そして彼は、首に掛けられていた紐を取り出した。 その先にあったのは、濃い緑色の珠。 美しく輝くそれは、スザクの瞳と同じ輝きに見えた。 next |