たくさんの新たな命とともに春の女神が地上に降り立つと、大きな風が吹き抜けました。 冬の女神が北風を引き連れ、天界へと戻るとようやく待ちに待った春の到来です。 眠りについていた動物たちはあたたかな太陽に誘われ、地上に顔を出し始めました。 葉を落とし、身を固くして冬の寒さを耐えていた木々には、新たな命が春を感じ、芽吹き始めています。 神様が住まう森にも、長い冬が過ぎ、春が訪れていました。 青年は山から森に続く水の道――小さな小川を見守るように立つ木々を見上げました。 辺り一面、ピンク色に染まっています。 春のあたたかな陽だまりを纏った風が吹き抜けるたび、ひらりひらりと花びらが宙を舞っています。 咲き誇る花々の傍まで来ると、青年は動きを止めました。 そして、木に囁きかけます。 「こんにちは、春を彩る貴人たち。いつも、森を支えてくれて、ありがとう。 君たちのお陰で僕らはここにいられる。大地を支える主の体調が優れないんだ。 君たちの力をわけてもらえないだろうか?」 さわりさわりと、木々がしなりました。青年の元に届いたのは、優しい風。 構わないと、一人の木が囁くと、次々に囁きが聞こえてきます。 大丈夫、持っていきなさい。 はやく良くなるように、分けてあげよう。 さあさあどうぞ。 あたたかな言葉に青年は深くお辞儀しました。 神様を守るこの森に住まうものたちは、皆、心優しく、あたたかいと青年は思いました。 手に持つ籠を肩に下げ、立ち並ぶ木々の中でも、一際大きな桜の幹に足をかけました。 長い年月ここで森を支えているのでしょう。大きな体を支える根は、太く長く地を慈しみ、空を目指す枝々は太陽に向い手を伸ばしています。 手のひらに感じるのは、水を通す音。 たしかに感じる命の鼓動に、青年は微笑みました。 ふと、耳元をくすぐられる感触に、青年は顔を上げました。 「やあ、こんにちは、妖精さん」 目の前を旋回する光の粒子が止まると、姿を現したのは森に住まう花の妖精でした。 長い黄色い髪と、赤色の髪が揺れています。身に纏っているのは、花びらでしょうか。 幾重にもかさね合わせた裾から、小さな足が見えました。 青年は彼女たちに向け、笑いかけました。くすくす、と軽やかな鈴の音が響きます。 『ごきげんよう』 『ごきげんよう、大地の方』 花びらのドレスを少し持ち上げ、花の妖精たちがあいさつを返してくれました。 彼女たちがお辞儀すると、舞い散る花びらがくるくると踊り始め、青年の元にやわらかな感触を届けます。 お礼に青年は手のひらに落ちた花びらに口づけました。 『森の主はお元気でいらして?』 『今日はまだ、麗しいお姿を拝見していないわ』 さっきの言葉を聞いていたのでしょう。 花の妖精たちは心配そうに言いました。 きっと、皆心配しているのでしょう。 青年は目を細め、花の妖精たちを驚かせないように顔を近づけ小さな声で囁きました。 「少し体調を崩されているけど、みんなが力を分けてくれるから大丈夫だよ」 『まあ、本当に?』 『本当に?』 くすくすと聞こえてくる囁きに、青年は微笑みました。 籠いっぱいに詰まった桜の枝を持ち、ログハウスに戻った青年はテラスでまるまる神様に苦笑いを零しました。 神様の傍に腰かけた青年は、規則正しく聞こえてくる寝息に耳を傾けます。 あたたかい日差しが差し込むテラスは、心地よくて瞼が重くなるのも仕方がないほど気持ちいいものでした 少し艶のなくなった毛並み。 その背に触れると、ぴくんと三角の耳が片方揺れ、小さなほっそりとした足が動きました。 どうやら、目を覚ましたようです。 青年は、神様の顔を覗きこみ、大切な人の名を呼びました。 「ルルーシュ様、目が覚めましたか?」 幾度か瞬きを繰り返したあと、神様は顔を上げました。 そして、首を傾げ青年を見上げます。 「スザク?」 きょとんとアメジストの瞳を瞬かせ、驚いた表情をする神様に、青年は溜息をつきました。 きっと、体調を崩していることを忘れているのでしょう。 青年は神様の小さな体を抱き上げました。 「まだ、体調は戻っていないはずですよ。部屋にもどりましょう。春が訪れたといっても、まだ冬の名残が残っていますから」 部屋の中に戻った青年の腕の中で神様は、ほのかに頬を赤く染めました。 恥ずかしいのか、ぷいと顔を逸らしています。 「う、いや、そのあまりにも日差しが気持ちいいものだから……」 早口で弾きだされる声に、青年はくすくすと笑いました。 そして、神様をソファーに下ろすと、籠を差し出しました。 満開の桜に神様は目を丸くしています。 「森から、精気を分けてもらいました。みんな、心配していましたよ」 桜の枝から漂うのは澄んだ空気と、満ち溢れた大地の息吹きです。 神様は大きく深呼吸を繰り返しました。 神様の体が淡い黄緑色の光に包みこまれ、輝きだします。 「ああ、心地いいな……」 ふわりと欠伸を一つ零し、神様は体を丸めました。聞こえてくるのは、穏やかな寝息です。 青年は籠の中から桜の枝を手に取ると、ふわりと香る桜のにおいに目を閉じました。 体を癒すために深い眠りに落ちた神様の傍で、青年と桜の花びらがやさしく見守っていました。 さあ、新たな季節の始まりです。 end |