22××年、ブリタニア首都近郊。 「お爺様、お加減はいかがですか?」 カーテンを引き、窓を開けた細見の少年が言った。春の近づくあたたかい日差しが少年の滑らかの黒髪を揺らす。触れる静かな風に少年は宝石とも名高いアメジストの瞳を細めた。 光が差し込む先は、ダークブラウンの木目調が揃った家具である。職人の手により手作りされたそれらは、一つとして同じ物はない。 深いワインレッドの布が垂れ下がる天蓋のベッドの側に腰掛け、床に就いている祖父に声をかける。 彼の周りを囲う家具はどれも、彼が妻のために作らせた世界でたった一つのものである。それが、祖父を優しく包み込んでいるように少年の目に映る。 「ああ、ルルーシュ、今日は気分がいいよ」 ルルーシュの両親は、彼が十歳のとき、事故で亡くなった。それから祖父に育てられ、今では育ての親とも言える存在である。 風邪すら滅多にひかなかった祖父が倒れたのは、祖母が亡くなってからだ。まるで、祖母を追うように、日に日に弱まっている。 「あまり無理をなさらないでくださいね」 「分かっているよ、お前たちを置いていったりはしないさ」 皺だらけの笑顔が、ルルーシュに注がれる。長い人生を刻んだ大きな手で頭を撫でられることがルルーシュは好きだった。 サイドテーブルに置いておいた薬がなくなっていることを確認してから、祖父の頬にそっとキスをおくると、部屋をでた。 ランぺルージ家。 それが、ルルーシュの家名である。旧ブリタニア帝国の皇族の血筋を継ぐ、古くからの名家であり、祖先をたどれば、悪逆皇帝の名で有名なルルーシュ・ヴィ・ブリタニアまで繋がる。 世間では悪逆皇帝と呼ばれる皇帝だが、一族の中でその名を呟く者は誰もいない。 廊下にでたルルーシュは、壁にもたれ掛かると、深く息を吐いた。先ほど、医師から宣告を受けた。おそらく、春まで持たないだろうということだった。 いつかはこうなると覚悟を決めていた。だが、いざ目の前に突き付けられると震えが止まらない。失う恐怖と、再び置いていかれる心細さと、悲しさと。渦巻く感情が、ルルーシュの中でせめぎあう。 また、失ってしまう。大切な人を。 見送る役目は、これで何度目だろうか。 熱くなる目頭を押さえ、ルルーシュは深く息を吐いた。 「お兄様・・・」 聞こえてきたか細い声に顔を上げれば廊下の先に妹であるナナリーが不安げに立っていた。その手を握り、同じく淡い紫色の瞳を揺らしているのは、双子の弟であるロロだ。 きっと、二人も聞いたのだろう。 自分より幼い彼らは、どれほど、悲しみ、心を痛めているだろうか。 瞳に映る滲んだ涙に、ルルーシュの胸は軋みを上げた。 ルルーシュは二人の肩を抱き寄せると、きつく抱き締めた。 静かな廊下に、すすり泣きが聞こえ始める。 「おにい、さま・・、せめて、お爺様の願いだけでも、叶えて差し上げたいのです」 しゃっくりを上げ、ナナリーが言った。 「僕も、そうしたい。兄さん、お願い」 懇願する二人に、ルルーシュは唇を噛みしめた。彼らの気持ちは痛いほどわかる。けれど、ルルーシュには、はっきりと頷くことが出来なかった。 ルルーシュたちの祖父には常々、叶えたい願いがあった。 それは、自分たちの祖先である悪逆皇帝ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの汚名を削ぐことだった。 彼は、世に知られるような悪逆皇帝ではなく、今のこの平和な世界があるのは彼のお陰なのだ、と。それは、子孫たちのただの願望なのではなく、かの王が生きていたときに残されたある物を目にしていたからである。 それは、一冊の日記。 それは、彼が死するまでの期間に書かれたものであった。おそらく、代々の皇帝が受け継いできたそれは、時代を経てランぺルージ家へと受け継がれた。 そして、ルルーシュもまた、その日記を目にすることになった。十五の時だった。 その日記を手にした瞬間、ルルーシュは思い出したのだ。自分が、かつてルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだったということを。 信じられない思いと、混乱のなかで、冷静な自分がいることにルルーシュは気づいていた。けれど、何故、この日記が残っているのかわからなかった。自分が残した痕跡はすべて消し去ったはずだった。 ―ルルーシュ、私たちの祖先は悪逆皇帝などではないんだよ。とても、お優しい方だったんだよ。だが、世間はそれを知らない。それが、悲しい。 祖父はそう言って、寂しそうに日記を撫でていた。 よく日の当たる窓辺、お気に入りのチェアーに座り、パイプをふかしながら庭を見つめる。その先にはいつも、祖母の姿があった。 膝に置かれた日記をいとおしそうに撫で、祖父は呟くのだ。 ―だから、この日記を世間に発表しようと思う。きっと、亡くなった祖先たちもそれを望んでいると思う。 ルルーシュはその隣で、ただ見つめることしか出来なかった。 ** 泣き疲れた二人を部屋に寝かし、ルルーシュは再び祖父の元へと足を向けた。 ドアを開けると冷たい空気が流れる。開けたままだった窓を閉めると、そっと祖父の寝顔を覗きこむ。扱けてしまった頬に、胸が痛む。 ふと、サイドテーブルに置かれた紙に目が止まった。走り書きされていたのは、遥か昔の自分のこと。祖父は心の底から、悪逆皇帝の名の返上を望んでいる。 「お爺様・・・」 ルルーシュは溢れてくる涙を必至で堪える。今の自分に対してではないことは十分わかっていた。けれども、祖父の温かい愛情は、こんなにも優しい。過去でしかない皇帝に本気で心を砕いているのだ。ふと、眠りに落ちていた祖父の瞼が揺れる。現れた瞳は、祖母が愛していたラベンダーと同じ色である。 「ルルーシュ、どうしたんだ。そんな、泣きそうな顔をして。何か、悲しいことでもあったのかい?」 祖父に呼ばれ、ルルーシュはゆっくりと顔を上げる。 どんなに辛いことがあったとしても、いつも笑顔を絶やさない大切の家族。 優しいぬくもりと、惜しみない愛情を注いでくれた。 「何でも、ありませんよ」 ルルーシュは祖父に抱きつき、優しいぬくもりに顔を埋める。小さいときと同じよう広い祖父の胸に飛び込む。 「おやおや、どうしたのかね。甘えん坊さん」 背中を撫でる大きな手のひらを感じながら、ルルーシュは顔を上げた。そして、微笑む。 「お爺様、俺が必ず、あの日記を世間に発表します」 「ルルーシュ?どうしたんだい?」 目を丸くさせた祖父に精一杯の笑顔で言う。 「悪逆皇帝の名を返上してみせます。だから、お爺様はゆっくり休んでください」 明るい日差しの中で、祖父の笑顔は輝いていた。 それは世に論文が発表される二ヶ月まえのことだった。 end |