電車の音が、朝の光のなかで、鳴り響く。 それは、大きくもなく小さくもなく、まるで、町の一部であるかのように、溶け込んでいる。 スザクは、ふわりと欠伸をひとつ零すと、白線にそって歩き出した。 別に、決めたわけではないが、気付けば、いつも同じ場所から電車に乗り込むようになっていた。 ゆっくりと車両が止まり、扉が開く。 スザクが立つこの場所は、ちょうど扉のある所でスムーズに乗り込むことができる。 すぐ側の席に座り込み、持っていた雑誌を開く。 ふと、目に入った前の席に、スザクは溜息をついた。 ああ、今日もだ。 スザクの前に並ぶ席は、誰もおらず。 知らず知らずのうちに、落胆している自分がいた。 この前の席にいつも座っていた、ほっそりと した女性が目に浮かぶ。 いつも、かっちりとしたスーツを身につけ、静かに座っている。 座る彼女の姿は、背筋がピンと伸びていて、こちらまで、心が引き締まる気がした。 今どき、珍しい黒髪が、彼女には、とても似合っていて、綺麗だと素直に思った。 彼女は、スザクのなかで、いつの間にか、当たり前になっていた。 そこにいるのが自然で、気付けば、いつも見つめるようになっていた。 電車が動きだす。 また、今日も、彼女の姿を見つけることは、出来なかった。 〜 「スザク、朝っぱらからくらいぞ〜?どうした〜?」 会社に着いた瞬間、バシッ、と背中を叩かれ、振り返ったさきにいたのは、溌剌とした笑顔を浮かべた友人だった。 「ジノ、痛いよ・・・」 金色の髪を後ろで三つ編みにしたジノが、笑顔でスザクに抱きつく。 自分よりも一回りは大きいジノに背中に抱きつかれるたび、深いため息がこぼれ落ちる。毎朝の習慣になりつつあるそれに、頭痛を感じるのもいつものことである。 「ほら〜、何、拗ねてんだよ〜。いい男前が、台無しだぞ!」 「うるさいよ・・」 ふいと、顔を背ければ、軽やかな笑い声が聞こえてきた。 「マリアンヌさん」 「あなたたち、本当に仲がいいわね〜!うらやましいわ」 赤い目の覚めるような色の派手なスーツを着こなす女性。 真っ直ぐな黒髪を後ろで、一つに纏め、胸を張って立っている。 にっこりと笑顔でスザクとジノのやり取りを見つめている。 彼女は、スザクが所属するチームのリーダーであり、スザクとっては年が離れていても姉のような存在に感じる。 仕事に対し彼女は、誰よりも厳しいが、さりげなく仲間をサポートする姿は、憧れでもある。 彼女の言葉にスザクは取りあえず苦笑いを返す。 ふと、彼女の黒髪に目がいった。 「マリアンヌさんも、黒髪なんですよね」 何気なく零れ落ちた言葉に、ジノとマリアンヌは顔を見合せる。 そして、二人して微笑む。 「ジノ?マリアンヌさん?」 首を傾げるスザクの肩に腕を回したジノは、納得したかのように、何度も頷く。 そして、青い瞳を輝かせる。 「はは〜ん。さては、彼女でも出来たな?」 「は?」 訳が分からず、スザクはただただ、困惑するしかない。 「なんだ、違うのか。じゃあ、そうだな。"恋"、てところか〜?」 あ、と思った瞬間、胸に落ちて、スザクは動きを止めた。 浮かんだのは、いつも、電車で見かける彼女だ。 そうか、と。ようやく理解する。 「ああ、そっか・・・・」 ほっと、安堵する。 それを見たジノが、呆れ顔でスザクの額を叩く。 「まさか、気付いてなかった、とか?」 図星だから、スザクは何も言えない。 口を閉ざせば、遠慮なく大笑いされた。 ようやく、分かった。 どうして、彼女を、毎朝探していたのか。 それは、とても、シンプルなもので、気付かぬうちに、スザクの胸に根をはっていた。 彼女が、好きだ。 また、逢えるだろうか。 窓越しに見えたマリアンヌの黒髪の奥に、彼女の姿が見えた気がして、スザクはそっと微笑んだ。 end |