あの日、初夏だというのに、やけに暑かった。 ギラギラとした日差しが貫く。 広がる海は、太陽の光を反射し、銀色に輝く波が大きくいくつも揺れていた。 大型連休を過ぎていたためか、自分たち以外、ほとんど人はいない。 泡立つ波が砂浜を繰り返し、濡らしてゆく。 少し強い風が潮のにおいをまき散らしながら、吹き抜けた。 海が見たい。 いつものように誰もいない家で、抱きあっていた時だった。 不意にルルーシュが零した。 まだ少し上気した身体を自分に委ねながら、窓から見える青空を見て呟いた。 昼間から不謹慎だとルルーシュはいつも怒るけれど、拒むことは一度もなかった。 いつだって受け身で、わがまますら言わなかった。 甘えてくれたのは、初めてだった。それが、嬉しくて。 だから、次の休みの日、朝の弱いルルーシュを辛抱強く起こし、遠出をした。 バシャバシャと水音がして、前を見れば、子供のようにはしゃぐルルーシュがいた。 靴をそうそうに脱いでしまい、波打ち際を歩いている。 波が足首までかかると、まだ冷たいためか身体を竦めている。 それでも、嬉しそうに笑っている。 その姿を見るだけで、心が和んでゆく。 時折、足を取られるのか、それとも不安定な足場のためか。 細い肢体が傾ぐ。 前のめりになった瞬間、腕を伸ばして捕まえた。 ほっと、安堵する様子に溜息が出てしまう。 『何やってんだよ』 呆れを存分に含んで言えば、ばつが悪そうに視線を逸らす。 透き通るほど白い肌が、微かに赤く染まっていた。 まったく、危なっかしい。 いつも思うが、どうして何もない処で転びそうになるんだか。 運動神経が乏しいことは知っていたが、本当に危なっかしくて目が離せない。 『お前、子供じゃないんだから、いい加減はしゃぎすぎ。 風邪ひいて、寝込んでもしらねぇぞ』 俺の言い方が気に入らなかったのか、ルルーシュはむっと唇を尖らせると、腰に回していた腕を振りほどき、さっさと歩き始めた。 『ルルーシュ』 呼んでも返事はないし、止まることもしない。 まったく。拗ねてやがる。 頭をかき回して、もう一度息を吐くと、無言のまま歩く細い背を追った。 波にわざと浸かるようにして、歩いていく。無言のまま歩くスピードは、いつもよりはやく、少し駆け足で追いかける。 『おい、ルルーシュ』 再度、名前を呼ぶが、完全に無視を決め込んだようだ。 こうなったら、ルルーシュは絶対に、折れない。 確かに、言い方が悪かったかもしれない。 自分の口の悪さはよく分かっているつもりだ。 それでも、数日前に熱で寝込んでいたことを考えれば、どうしても心配になってしまう。 それに、喧嘩をするためにここに来たわけじゃない。 本当は、笑ってほしくて。 だから、しょうがない。 『……悪かった』 腕を組んで、立ち止まって呟く。 やっぱり、自分から折れるのは癪に障るからか、眉間に皺が寄ったのが分かった。 歩き続けるルルーシュの背中を少しだけ睨みつければ、その足がピタリと止まる。 けれど、相変わらず背を向けたままで、こちらを見ようとはしない。 まだ怒っているのかと口を開いた俺に、ルルーシュが言った。 『ちっとも聞こえないぞ、スザク』 だから、もう一回。 この距離で聞こえないわけがない。 少し腹が立って、「別に」と返せば、また無言のまま歩き始めた。 どうやら、今回は本当に拗ねているようだ。 まったく、しょがねぇ奴。 まあ、俺も、同じか。 『悪かった、ルルーシュ』 今度はちゃんと届いたのか、ルルーシュが振り返る。 とびきりの笑顔を浮かべて。 そして、そのまま飛びついて来たルルーシュを、受け止めきれずに、二人して砂浜に倒れ込む。 まさか、倒れるとは思っていなかったのか紫の瞳を真ん丸く見開いている。 その姿が可愛くて、思わず抱き締めていた。 びくりと、ルルーシュの身体が跳ねた。 そっと、顔を覗き込むと真っ赤な顔で狼狽えている。 視線を彷徨わせている。 自分から仕掛けてきた癖に。 どれだけ俺を捕らえるつもりなんだろうか。 くすりと笑って、瞼に口づければ、身体を固くしてぎゅっと目を瞑る姿が可愛いかった。 『照れてんのか?』 わざと言えば、煩いと怒りだす。 少し涙目になっているのに気付いて、今度は素直に謝った。 ルルーシュの頬を両手で包みこんで額を合わせれば、二人していつの間にか笑っていた。 くすくすと笑うルルーシュの声が心地よく全身に響き渡る。 少しだけ瞳を細めて、控えめに笑う。 綺麗な紫の瞳が、俺を映す。 それだけで、胸が熱くなった。 両手に重なったほっそりとした掌。 自分よりも少し低い体温が、直に温もりを伝えてくる。 目を閉じたルルーシュにそっと、唇を寄せれば、ぎこちないながらも答えてくれた。 ルルーシュを好きになるまで、こんなにも穏やかな気持ちを知らなかった。 『お前の手』 『ん?』 『あったかいな……』 肩によりかかるルルーシュの髪を梳いてやれば、猫のように擦り寄ってくる。 そして急に立ち上がると、波打ち際に向って駆けだした。 『スザク、駆けっこしよう』 『え、あ、おい!』 慌てて立ち上がり、捕えようと伸ばした腕をすり抜け、笑顔で駆けてゆく。 出だしが遅れたうえ、砂が邪魔して離される。 それが腹立たしくて、砂を蹴り、踏み出せば、ルルーシュに届いた。 後ろから抱きすくめ、項に口づけた。 『息、上がってるぞ?大丈夫か』 大した距離でもないのに、ルルーシュは肩で息をするほど苦しそうだった。 大丈夫かともう一度問えば、息を切らしながらも微笑みを返してくれた。 そして、俺の肩に寄りかかったルルーシュは、大きく息を吐いた。 苦しげな息遣いなくせして、嬉しそうに空を見上げていた。 『ルルーシュ?』 『気持ちいいな……。こんなに楽しいのは、久しぶりだ』 微笑み、目を閉じた姿が、消えてしまいそうで、ルルーシュを囲う腕に力を込めた。 空に、吸い込まれてしまいそうだった。 それが怖くて、ルルーシュを感じていたくて細い肩に顔を埋めた。 『スザク、来年もいっしょに来ような』 振り返ったルルーシュは、今にも泣きそうな笑顔で俺に言った。 あの時、気づいていれば。 何か、変わっていたかもしれない。 |