ルルーシュの遺骨を抱いたマリアンヌさんは、泣くかと思ったけれど、ただ静かに腕の中の彼を慈しむだけだった。 ルルーシュを抱かせてほしいと頭を下げた彼女に驚いたのもはじめだけだった。 あの日、ルルーシュが死んだ日、彼女は県外まで車を走らせていたため、彼の通夜はおろか葬儀にも参加できなかったという。 戻ってきて聞かされた息子の死に彼女はどれほど悲しんだだろう。 悔やんだだろう。 想像することしか出来ない。 けれど、胸が苦しくて、居た堪れなかった。 気まずくて視線を彷徨よわせていると、かすかな吐息が聞こえてきた。 マリアンヌさんは、海を見つめながら、自分の知らなかったルルーシュを教えてくれた。 ルルーシュとは小学生のときに別れたそうだ。 彼は、未婚のまま生んだ子供だったけれど、経済力のなかった自分では引き取ることは叶わなかったそうだ。 その後、月に一度だけ会っていたいう。 俺の事は、ルルーシュからいつも聞かされていて、いずれは会いたいと願っていたそうだ。 男同士に何も思わなかったのかと聞くと、頭を横に振り、否と答えた。 「恋愛に年も国も性別だって関係ない」そう胸を張って答える彼女が眩しく思えた。 想像通りの男前で、もっと早くに逢いたかったとマリアンヌさんは寂しそうに笑った。 その笑顔に、泣きたくなった。 そして、ルルーシュは生まれつき心臓が悪く、定期的に病院に通っていたという。 ここ最近は、発作も減り、徐々に落ち着いていたところだったそうだ。 マリアンヌさんは、憂いを含んだ眼差しでルルーシュを何度も撫でた。 「ねえ、ちょっと付き合ってもらえないかしら?」 そう言ったマリアンヌさんの横顔を太陽が照らしていた。 マリアンヌさんに連れられ、砂浜から上がってすぐ。 目の前に存在する駅を訪れた。 少し高台の駅舎に足を踏み入れるが、人の気配はない。 どうやら無人駅のようだ。 木造の古い駅舎の軒には、いくつもの蜘蛛が、巣を張ていた。 備え付のべンチは、埃が白く積もっていて、かび臭くもある。 おもにこの駅が使われるのは、海開きの時だけだという。 「寂びれているでしょ?」と振り返ったマリアンヌさんは少しの間、この付近に住んでいたそうだ。 「うしろ、見てごらんなさい」 彼女が海を指差す。 ゆっくりと振り返った先、見えたのは、一面に広がる水平線。 横に伸びる砂浜の白と紺碧に染まる青のコントラストが、眩しく輝いていた。 仕事の関係で離れたが、この風景が好きで、定期的にここを訪れるそうだ。 その気持ちが、少しだけ分かる気がする。 見渡す限り広がる海は、穏やかに澄みわたり心をいやしてくれる。 「ほら、あれを見て」 歩みを進め、ホームに立ったマリアンヌさんが、奥を指差す。 彼女に呼ばれるままにホームに顔を出した瞬間、眩しい光が目を貫いた。 真っすぐ伸びる二本の線路と平行に並んだホーム。 奥に備え付けられた柵に靡く布。 ホームが途切れるまでびっしりと結ばれたそれが、潮風に揺れていた。 それが何か分からなくて、近くに結ばれたそれを広げてみる。 ハンカチであるとすぐに分かった。 けれど、結われたものはどれも何色にも染まっていない白。 そして、ハンカチに添えられた文字に驚いた。 『幸せになれますように』 まるで、神社の絵馬に書かれたような願い事が、ひとつひとつに刻まれていた。 戸惑いながら、マリアンヌさんを見つめれば、優しい笑みが返ってきた。 背に伸びた黒髪が風に流れてゆく。 「誰が言い出したのかは、知らないけれどね。 この駅のホームにハンカチを結ぶと、海の神様が願いを叶えてくれるのだそうよ」 マリアンヌさんが言っていた言葉がふと蘇る。 「海の、ラブレター?」 正解だと、彼女は頷いた。 「恋人同士で来る人もいれば、片想いを叶えたくて来る人もいる。 この海に住む神様は、もともと海の安全を祈願していたんだけど、近頃は縁結びとして有名になってるの」 ホームから続く形に伸びている岩山を見つめ、マリアンヌさんが言った。 頂上に僅かにおい茂る草以外何も見えないけれど、小さな祠が存在しているという。 そこに、この海を護る神様を祭っているが、この場所からは見えず、祠は海を見つめているそうだ。 マリアンヌさんは、目を細めた。 風が一際強く吹いた瞬間、結われたハンカチは一斉にたなびいた。 そのうちの一枚から、目が離せなくなった。 だって、それは――。 「ルルーシュ?」 見間違えるはずがない。 あれは、ルルーシュだ。 じっと凝視する俺の耳にマリアンヌさんの声が響く。 心臓が大きく跳ねた。 「ルルーシュにこの場所を教えたのは、私なの」 堪らなくなって、駆け出していた。 すぐ傍に寄り、膝を折る。 ハンカチの結び目から広がる布地を、震える手で広げれば、見慣れた字体が目に止まる。 紛れもなくルルーシュの字だ。 あの時、やたらとはしゃいでいた姿が目の前に浮かんだ。 近くの海ではなく、車でも数時間はかかるこの場所を選んだ理由が、今、分かった。 車酔いしたっていうのに、ルルーシュは嬉しそうに笑っていた。 「この海に来るっていってたから、きっと、この駅にも寄ると思ったの」 視界が霞み始める。 唇が震えだし、きつく噛みしめた。 そんなこと一言も聞いてなかったと言えば、マリアンヌさんが息を吐いたのが分かった。 「あの子は、秘密にするのが好きだったわ。人を驚かせて、喜ばせるのが上手だった」 見上げた先にいたマリアンヌさんは、遺骨を抱き締め、独り言のように呟いた。 その言葉が、胸に焼きついた。 ああ、ようやく、分かった。 あいつが、来年も来ようと言ったその意味が。 「馬鹿野郎……」 これを俺に見せるためだったんだ。 うまいこと、騙しやがって。 何、夢みたいに願ってんだよ。 そんなことしなくても、俺はとっくに知ってたんだぞ。 お前が笑うたびに、届いていた。 『ずっと一緒にいられますように――。 愛してる、スザク』 「馬鹿野郎……」 いや、馬鹿は、俺だ。 あいつが欲していた言葉を知っていたのに、結局一度も言えなかった。 お前のこと、嫌いだったわけじゃない。 ただ、恥ずかしかっただけなんだ。 ごめん、ルルーシュ、ごめん。 「病気のこと、隠していたわけじゃないと思うの。 あの子、人一倍気を使う子だったから、きっと、あなたの負担になりたくなかったのよ」 マリアンヌさんの言葉に心が軋みを上げる。 悔しかった。 ただ、悔しかった。 あいつにそんな想いをさせていたなんて――。 歯を食いしばっても、込み上げてくる衝動に耐えられなかった。 震える唇から息を吐いたのが最後だった。 涙が溢れだす。 口を開いても、震えてしまって息を吐くしかなかった。 「ルルーシュ……愛してる……、愛してる」 ルルーシュが残した最後の言葉を、きつく胸に抱き締める。 深く、深く、胸に抱く。 「ありがとう、ルルーシュの傍にいてくれて。 この子は幸せ者だわ。こんなにも、あなたに愛されている。本当に、ありがとう」 マリアンヌさんが、俺の肩を抱いた。 顔を上げた先、微笑んだ彼女の頬を止めどない涙が伝っていた。 何も言えなくて、ただ首を振るしかなかった。 ルルーシュが残した言葉は、何よりも輝いて、俺の心に染みわたっていった。 もう、届けられない愛の言葉を繰り返し、俺は泣き続けた。 その傍を、優しい風が吹き抜けていった。 end |