森の小さな神様

□あたたかな場所
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秋も過ぎゆき、通り向けた北風の気配に顔を上げたのは一人の青年でした。
吐き出す息が白く立ち上り、青年は身体を震わせました。
辺りを囲うたくさんの木々たちはほとんど葉を落とし、本格的に始まる雪の季節に向け眠りにつき始めていました。
葉を赤や黄色に色を変え、冬の支度をはじめたのは冬の女神が地上に降り立った頃でした。

冬の女神が北風を連れ、再び降り立つと季節は本格的な冬を迎えるのです。
青年は空を見上げました。
厚い雪雲が彼方まで広がっています。

強い北風が吹き抜けた時でした。
舞い降りはじめたのは真っ白な結晶――今年も雪が、振りはじめました。

青年はそっと掌を差し出しました。
ひらひらを舞い降りた雪の欠片が掌に落ちると、
現れたのは親指ほどの小さな、小さな雪だるまでした。
小さな雪だるまは雪の妖精であり、地上に冬を届けるために今年も舞い降りたところだったのです。
青年に気付くと、雪だるまはにっこりとほほ笑みました。
きゅっ、きゅっと小さな音を鳴らし、青年に向かって手に持つ真っ白な傘を振りました。

聞こえてきたのは雪の妖精の声です。

――やあ、こんにちは。大地のお方!
今年も素晴らしい日に出会えた!森の主に伝えてくれないかい?

青年が笑顔で頷くと雪の妖精は両手を広げて言いました。

――お誕生日、おめでとうございます!

ここはたくさんの神様が住まう天上界と人が住まう世界を繋ぐ場所。
この森は、神々と人を繋ぐ唯一の場所。
その森を護るのは、一人の神様なのです。
黒猫の姿をした小さな、けれども誰よりも暖かな心を持つ青年にとって誰より大切な人。

今日は、この森の神様の誕生日なのです。
青年は翡翠の瞳を細め、微笑みました。

「ありがとう、必ず伝えるね。我が主もとても喜ぶよ」

そして、雪の精霊が飛び立ちやすいように空に向かって手を伸ばしました。
小さな雪だるまは傘を広げると、吹き始めた北風に乗って空に帰ってゆきました。
消えてゆく小さな姿を見送り、青年は歩きはじめました。
微笑みを浮かべながら、手に持つ白い箱を大切そうに抱えて。
その後ろ姿を厚い雲の奥から雪の精霊達が見つめていました。





*****





深い、深い森の奥。
濃い霧に囲われた緑の要塞を見つめ、神様は足を止めました。
流れる風は多くの水気を含み、ゆっくりと流れてゆきました。
神様の艶やかな黒髪を揺らしました。

立ち並ぶ木々が身に纏っているのは全身を覆う苔。
枝までびっしりと生えたそれらを纏い、木々は歌っていました。
それは誉れ高きこの地に眠る女神へと送る讃美歌。優美に華麗に――。

美しい女神は深い霧に守られた森の奥に眠っているといいます。
彼らは古の神に守られた森を誇りに思う真摯な一族です。
この地に降り立った女神を敬い、慕い続ける彼らの心に神様は胸を打たれました。

そっと苔に覆われた幹に触れ、囁きます。
感謝の言葉を告げれば、返ってきたのは小さな振動。
ゆったりとそして力強くこの地に根付いた大樹は微笑みました。

――ありがとうは、私たちの言葉です。この森を愛してくれて。

――私たちを護って下さって。

――あの方がいて下さったからこそ、我々は
こうして生きていられる

――心よりお慕いしているのです。

――たとえ、二度とお会い出来ずとも

――私たちは、あのお方を心から敬愛しております。

神様は流れ込んでくる心に目を閉じました。

この森は女神をこんなにも愛している――。その想いの深さに心が震えました。


そして彼らに向い一礼すると森の奥へと歩き始めました。
はらはらと舞い降りはじめた粉雪が厚い雲から静かに降り注ぎます。

神様が足を止めた場所――そこは滾々と清らかな水が湧き出す泉でした。
遥か昔、この地に初めて根を下ろした樹の亡骸が眠る場所でもありました。
幹は大人が両手を伸ばしても届かないほど立派なもので、空一杯に広がる枝が生前のまま残っていました。
その幹から湧き始めた水はいつしか泉と呼べるほど大きくなり、永遠の眠りについた樹を静かに抱き続けているのです。
神様は泉の傍まで近づくと、そっと膝を折りました。
ゆらりと水面が揺れ、泉に現れたのは美しい女神でした。
泉に溶け込んだ樹の記憶です。
神様は女神に向い、アメジストの瞳を和らげました。

「ギネヴィア姉上、お久しぶりです」

もう、届かないものだと分かっていましたが神様は囁きました。
この森を護っていたのは、神様の母親違いの姉の中でも、一番年の離れた姉姫でした。
いつも朗らかで、時には厳しい言葉で叱ってくれる大きくて優しい人でした。
神様が地上に降りるよりも以前からこの森を護り続けていたのです。
生まれたばかりの原始の地上は天界で生きてきた者にとって毒でしかありませんでした。

それでも、多くの神が地上に降り、生まれたばかりの何も知らない地に
――風を、海を、山を花々を教えました。

神々は、地上のすべてを慈しんだと言います。
原始の地上が孕む毒さえも、神々は愛したのです。
神々は自分たちの身体に毒を集め、地上を覆っていた毒を清らかな空気へと、水へと変えていったのでした。
自らの命を削って――。

神は決して死ぬことはありませんが、ゆっくりと年をとり、それと共に力も失ってゆくのです。
最後、力を失った神は大地と同化し、永遠に生き続け、
そうして、新たな神は生まれるのです。
神様はそう天界で教えられました。けれど――。

「姉上、また新しい年を迎えることが出来ました」

地上に降り立った神々は、誰一人として天界に戻ったものはいませんでした。
いえ、戻れないのです。

地上の毒は、神々の身体を徐々に苛み続け、最後その身は耐えきれず消えてしまうからです。
消えてしまった神々は、二度と天界に戻ることはありませんでした。
その事実を知るきっかけとなったのは、古の森と共に大切なものを失くした地狼の妖精との出会いでした。
すべてを失くした小さな地狼に森を返したいと思ったのです。
その想いを抱え、地上にいる姉に会いに行ったのは遠い昔のことです。
そのとき森を護り続けていた姉は、神様に厳しい言葉を投げかけました。

『――お前の気持ちはよく分かった。だが、地上に下りれば、お前は二度と天界には戻れない。
愛する妹たちと逢えなくなる。何より、この地上の毒はお前の身体を苛み、最後命すら奪うだろう。
――それでも、ルルーシュ。お前はあの地狼に返してやりたいと思うか?
――あの子の森は、もう二度と戻らない。どんなに似せようとも二度と。
お前のその想いはただのエゴでしかない。それでも地上に降りたいと思うか?』

神様を真っ直ぐ見据え、厳しい眼差しで問いかけた彼女の身体が
すでに限界だったのだと神様は後から知りました。
神様が地上に降りると同時に、姉姫はこの森から消えてしまいました。
その日はちょうど神様の生まれた日でした。

この森に降り立った神様を優しい笑顔で迎え、
そして最後の言葉を残して彼女は消えていったのです。

『ルルーシュ、生まれてきてくれて、ありがとう――。
私はお前と出会えて心から幸せに思うよ』

「姉上、俺も地上に降りて良かったと心から思います。
ここへ来て、たくさんの出会いがありました。
たくさんの心と触れ合うことが出来ました」

神様は立ち上がると、泉が映す幻影に微笑みました。

『どうか、泣かないでおくれ。――私は、幸せだから。
ごらん、この森はこんなにも大きくて立派に育った。
この森が私の想いを繋いでくれる。私と言うものは消えてしまっても、
ここには私の心が残っている。――この森と共に生き続ける。
だから、さよならは言わないでおくよ』

「姉上、俺も姉上の弟として生まれることが出来て心から幸せに思います」

神様の頬を一筋の涙がこぼれ落ちました。
ここに来るとき、泣かないと決めていたのにこぼれ落ちた涙は止まってはくれませんでした。
溢れ続ける涙を拭うことなく、神様は精一杯微笑みました。
この森と共に眠る姉姫に届くように。

「―-俺を愛してくれて、本当にありがとう、ございます」

いつの日か、神様の身体もまた毒に耐えきれず、朽ちてゆくでしょう。
地上に降りたち、いくつもの月日を過ごしてきましたが、徐々に力が無くなっているのを神様は感じていました。
今では元の姿を保てないほど、身体は弱っています。
長く眠り続ける日が多くなったのも、毒のためでしょう。

それでも、あの小さな地狼に返すまでは消えるわけにはいかない――。

神様は涙を拭うと泉に背を向け、歩きだしました。
翡翠の瞳を持つ青年の元へ、自分が愛するあの森へ――。

この身が朽ちて果てるときが来たならば、笑って去っていった姉のように自分もまた笑って逝けるように神様は真っすぐ前を向きました。

今年もまた、ひとつ、新しい年が、始まりました。





end

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