目を開けた先は歪みにより作られた亜空間である。番人により強制的にこの場所に送られたため、酷い耳鳴りがする。辺りを見れば先ほどまで番人に噛みついていた姉妹がいるばかりだった。 「ここ、は……」 呟きを零したのは悪逆皇帝の妹たる人。黄色い靄がかかった空間を呆然と見渡す。そして、その視線が一点で止まる。淡い菫色の瞳を向け、叫ぶ。 「――お兄様!」 「……あやつ、なのか?」 細い糸に絡み取られた皇帝の姿に二人は呆然と佇む。 「だから言っただろう。俺は悪逆皇帝ではない、と」 「だが、何故あやつはここに……。それにここはどこだ?あやつの身体に巻きついているあの糸は何なのだ?」 姉姫の矢継ぎ早に放たれる問いかけに溜息をついたのは番人だった。 「ここはあの世でもこの世でもない特殊な場所だ。詳しいことは教えられない。――だが」 そう言葉を切った番人ははっきりと断言した。 「あの糸の原因は貴様らだ」 二人が目を見開き、言葉を失くすが番人は気にすることなくさらに言い放つ。 「お前たちがあの男からすべてを奪った。生きる目的も命も――そして死してなおも転生する道すらも」 「そんな――私たちはそんな」 認めようとしない車椅子の少女にスザクの堪忍袋の緒が音を立てて切れた。 「――てめえらな! あれ見て何とも思わねーのかよ!」 スザクが指差した先。地面に太い根を這わす大木の木の下で一人佇む騎士を指し示す。糸に絡め捕れ、眠ったままの皇帝を愛おしそうに見つめる。その瞳は光を失っている。 「スザク、さん」 彼女にとっても大切な人であろう騎士。彼は現世で生きることを放棄し、この空間を作り出した。 彼の皇帝を想う心がこの空間を生み出し、今も正常な時を圧迫し続けている。 「あんたたちはあの二人がこのままずっとここにいるのが正しいって思うのか! ええ!」 「そ、そんなことは……」 姉姫が言い淀んだ時だった。騎士がこちらを向いた瞬間、鋭い殺気が飛んでくる。スザクははっと身構えるが少しばかり遅かった。彼が放つ負の感情に弾き飛ばされていた。何とか受け身を取るが、近くにあった木の根に背中を打ちつけていた。衝撃にぐっと息をのむ。鋭い痛みが走り抜けるが顔を顰めるにとどめる。番人の方向を見やれば、彼は二人の姫を背に庇うように立ち騎士と向き合っていた。よく見れば、彼の前には強力なシールドが張られていた。 (って、シールド持ってんなら、俺のとこにもはれよ!) 番人を睨むが決して口には出さない。出したら最後。延々といやみを言われ続けるに違いない。そんなスザクのことなどお構いなしに番人は騎士を真っ直ぐ見据える。アメジストの瞳は驚くほど澄んでいた。その色の深さは底の見えぬ深海のよう――。 スザクはぶるりと身体を震わせた。 「邪魔だ。――そこをどけ。陛下を害する者はすべて消す」 暗い翡翠に睨まれ、可憐な少女は息を飲んだのが分かった。騎士と少女は幼いころからの知己だったはずだ。そんな彼が迷うことなく剣を向ける姿が信じられないのだろう。 番人は動くことも焦ることもなく、淡々と答えを返す。 「それは出来ない話だ。それに今死なれては貴様が囲う皇帝を二度と助けることが出来なくなる」 「――何?」 皇帝の名を出した途端、騎士の表情が大きく揺らいだ。番人はそれを見逃さなかった。 「このまま此処にいれば、貴様が護ろうとしている皇帝は二度と黄泉の世界に渡れなくなる」 「――ッ黙れ! 戯言を!」 引く気配を見せない騎士に番人は大きく息を吐いた。 「引かぬならば、貴様は二度こいつを殺すことになる」 剣を構えた騎士の剣が一瞬、ぶれる。それをスザクは見逃さなかった。持っていた空間固定装置をこの空間を覆い尽くす白い天井に向い投げつける。騎士の手から剣が滑り落ちる。歪み続けていた空間が止まった。その衝撃に捕らわれ続けていた皇帝の身体が傾ぐ。スザクは落下してくる細い肢体を抱きとめた。振り返り、騎士を見れば彼は地に膝をつき震え続けていた。その姿は幼き子供のようだった。その傍に膝をつき、番人が囁く。 「お前が真に願っていたのは、“生きること”違うか?」 「――違う! 俺は、俺はそんなこと望んでいなかった! 本当は、本当は――」 パリンとガラスの割れる音が辺りをつつみ込む。そうして聞こえてきた声は騎士であった男の真の願い。 “ルルーシュと共に、いきたかった――” 騎士が発した言葉に、空間を覆っていた木の根が静かに姿を消し、現れた景色にスザクは目を瞠った。 遠く広がる紺碧の青と高く伸びる入道雲。立ち並ぶ木々の道を蝉が競い合いながら音を奏でる。風と共に走り抜けた先に見えたのは一面の向日葵――。 これこそが、彼の心そのもの。 騎士の心で静かに咲き続けた景色が。今、花開く。 スザクは腕の中で眠り続ける人を見つめた。すでにこの世に存在しない。この世界で知った彼の過去はあまりにも悲しすぎた。愛する人たちのために己の命をすべて賭けた。その高潔さが、優しさが。 ――悲しすぎるのだ。 「――さあ、今度はあんたの番だ。目覚めるといい。あんたが此処にいるということは、やり残したことがあるんだろう? 伝えたいことがあるんだろう?」 彼の額に手を翳す。この空間の時はすでに固定されている。あとは、すべての原因の目覚めを待つばかりだ。力を込めた掌から淡い緑の光が洩れる。それは次第に彼の全身を包み込む。 瞼が揺れ、見えたのはやわらかな光を宿したアメジスト。スザクを捉えると驚きに変わる。 『スザ、ク……?』 身体を起こしたその人は呆けたように呟いた。迷子の幼子のような響きに苦笑いせずにはいられない。 「悪い。――俺はお前の知っている“スザク”じゃない。お前の望んでいる奴は――」 今も地に蹲る男を指させば、彼の綺麗な紫の瞳が見開かれる。そして立ち上がると同時に駆け寄る姿にスザクは肩をすくめた。 ――ああ、彼らは同じなのだ。互いを想い焦がれている。 『――スザク』 蹲る騎士の傍に膝を折り、その肩を抱きよせ囁く。その声は優しさに充ち溢れていた。その声を聞いているだけで、胸の奥から熱い鼓動が込み上げてくる。 彼が残虐の限りを尽した悪逆皇帝など信じられないほど柔らかな声音。頭を抱え蹲る騎士がようやく顔を上げると、皇帝の面差しに宿ったのは幸せな笑みだった。 『スザク……』 ふわりと花が綻ぶ。ほっそりとした手が彼の頬に届くと同時に流れたのは、大粒の涙だった。 「ルルー、シュ?」 『ああ、俺だ』 「ほんとう、に?」 『本当だ』 白い皇帝服を纏った青年に抱き付き嗚咽を零す。 それを優しく抱きとめる彼はすべてを包み込む。世界に嘘をつき、反逆した彼らの望んだ世界はとても小さなものだった。愛する人に声を届け、共にありたい――。ただ其れだけのことが彼らには許されなかった。悲しすぎる宿命を負った彼らに祈りを捧げたかった。これから向かう先が穏やかであるように。 “彼らに安らかなる世界を――。” スザクは拳を胸に当て、ただそう祈った。 next |