*皇子時代のスザルルです。 「暑いぞ、スザク」 容赦なく照りつける太陽に、悪態を付く。額から噴き出す汗を乱暴に手で拭う粗野な態度に側につき従っている枢木スザクは、黒の馬上からこっそり溜息を零した。これで、おそらくは二十は超えたであろう文句の数々に頭を痛めた。 自身とは正反対の白馬に乗る彼は、宮廷の華と謳われた生母から受け継いだ美しい容貌を露骨に歪めている。世界の三分の一を統べる神聖ブリタニア帝国において、次代の担い手――第十一皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは、今現在非常に機嫌が悪かった。 彼の騎士であるスザクは、この地に着く前から気付いていたことだが、おそらく、他の者たちは気づくどころか、村を上げて歓迎ムード一色である。 溢れる緑一面の広大な土地は、見て回るだけでも一日が終わってしまうだろう。レンガが積み重ねられた柵の向こう。ぶら下がっている丸い粒は、一つ一つが惜しみない努力と丹精込めた心の証である。艶やかな丸みを帯びたそれは、もうすぐ収穫を迎える。 なだらかな斜面が続くこの村の特産物は葡萄酒である。 現皇帝シャルル・ジ・ブリタニアのお墨付きであるここの葡萄酒は、それはそれは風味豊かで、主である彼もよく好んで口にしているが、それはまた別な話である。 どこまでも続く葡萄畑を視察しているわけだが、スザクの主は、相変わらずの仏頂面である。 「暑い、暑いぞ、スザク」 「文句を言わないでください。これも仕事の一つです」 「……だが!暑いものは暑い!それもこれも、あの糞親父のせいだ!」 終わることのない罵詈雑言の向かう先は、彼の父親であり、現皇帝に他ならない。 皇子という立場ゆえ、あまりにも口汚いのは感心しない。行き過ぎた言動には、騎士であるスザクも口を挟むが、今回ばかりは仕方がない気がする。 本来、この地を視察する予定だった本人は、現皇帝だった。それも、自らが視察したいといと駄々を捏ねたのだ。頭を抱えた大臣たちが公務とのバランスを取らながらもぎ取った視察という休暇を放り出した現皇帝は、現在、愛娘のナナリーのピアノ演奏会に出席していたりする。 スザクの主である彼の妹であるナナリーは皇族では珍しく民間の学校に通っている。主である彼も同様だった。そのときすでに彼の騎士であったスザクも同級生の一人であるが、その教育方針を打つ立て、実行に移したのは彼らの実母であるマリアンヌ皇妃である。 幅広い知識と教養を身につけるためには、必要なことだと皇帝に直談判した結果だった。ともかく、本来ならば、ここにいるはずの現皇帝が愛娘の演奏会に向かった理由は、単純なことだった。もともと、視察と演奏会は一週間の隔たりがあった。だが、演奏会当日、予期せぬ天候不良に見舞われたため、ちょうど視察日に延期されたというわけだった。当然、公務を優先させるべきなのだが、親馬鹿と巷でも有名な現皇帝は迷うことなく演奏会出席を選んだ。そのしわ寄せが、彼に及んだのである。機嫌が悪くなるのも仕方がない。 麗しの美貌が台無しであるが、いつもは苦言を呈するスザクも今日ばかりは強くは言えない。いや、言えないこともないのだが、その後が怖いのだ。 「くそ、あのロールジジイ!帰ったら覚えておけよ……」 どろどろとした効果音が聞こえてきそうなほど、不気味な笑みを零した主に薄ら寒さを感じたスザクは、ふいと視線を逸らした。 自分は何も見ていない。聞いていない。何も知らない。 それを何度となく唱えた後、主に視線を戻す。爽やかな笑みを浮かべ村人たちと会話を交わしている。 完璧なまでに、皇子という役柄を演じているが、この後が本気で恐ろしい。 (……これは、帰ったら火の海だろうな……) 遠く広がる空は、雲ひとつない青空だ。 数日後の皇宮を思い浮かべ、スザクは息を吐いた。 next |