幾千憶の願いのさき

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それは、忘れられない、記憶。







月光が差し込む静かな廊下を歩む。誰もいない。ここは、世界(そと)より隔絶された場所。色とりどりの花が咲き乱れ、多くの木々が生い茂る豊かな楽園。けれど、その場所は力を持つ者を繋ぎとめる鳥かごでしかなかった。スザクは足を止めると空に浮かぶ月を見上げた。

「――ゼロ……」



今はいない親友に語りかける。紫と赤のオッドアイの瞳を真っすぐ前に向け、己の信念を貫いた。振り返ることを是非とせず、ただ、一人の人のためにすべてを、己の命さえも捧げ消えていった。彼がいなければ、自分は彼女と出会うことはなかった。けれど、彼がいたから、この帝国は荒れ果て、民たちは苦しみに追いやられた。彼が残虐の限りを尽くしたその行動の奥に隠していたたった一つの願いは人として当然の誰もが願うささやかな物だった。



大切な人を、幸せにしたい。

ただ、それだけだった。



それに気づいたのは、全てが終わった後だった。どれほど後悔しただろう。どれほど自分を恨んだだろう。どうして、たった一人の大切な親友を信じられなかったのか。今も思い出すたび、古傷が痛む。きっと、どれほど時が流れようともこの傷だけは永遠に消えない。ゼロが誰より優しい人だと知っていたはずなのに、嘘に塗り固められた仮面に気付くことが出来なかった。



――なあ、ゼロ。今君が此処にいたならば、何というだろうか。やはり、いつもと同じように「馬鹿だな、お前は。そんなこともわからないのか」とそういって不遜に笑うのだろうな。



だからこそ、今度こそ間違うわけには、いかないのだ。



廊下の奥、そこにある扉に手を伸ばした。ゆっくりと鈍い音を響かせ扉が開く。八角形に模られた壁は、一面ガラスの窓で覆われている。月光が差し込む中央で祈り続ける人影にスザクはゆっくりと近づく。中央に立つ細い人影に目を細める。ほっそりとした肢体を包む真っ白なドレスの裾が床に広がり、まるで月のもとでだけ花開く幻の華のように思えた。

月明かりの元、祈りを捧げ続けるその人は、亡き親友のたったひとつの願いそのもの。そして、スザクにとって何より大切な人だった。







◇◇◇◇◇◇◇











すすり泣きが響き続ける。腕の中で泣き続ける少年をあやしながら、翡翠の騎士はそっと目を閉じた。胸の内に湧き上がる痛み。それは、忘れることの出来ぬ罪の証でもある。愛しい人と同じ魂を持つという少年は、彼女と、いや記憶の中の彼の人とそっくりだった。艶やかな黒髪も意志の強いアメジストの瞳も、ほっそりとした身体も。まるで、彼が目の前にいるかのように感じてしまう。己の腕の中で震える細い肩を抱き締め、ゆっくりと背中をする。



もう、大丈夫だから。そう心で囁きながら。



君は、一人じゃない。

どうか、死に急がないで。

君の生きる世界は、未来は、まだ始まったばかりだから。



どうか、生きてほしい。



願いを込めながら、幼い少年に寄りそう。彼は十八だと言うが、彼の心はあの頃の十歳のままだと思った。無理やり両親から引き離され、すべての記憶を塗り替えられる。それが、どれほど彼を傷つけただろう。どれほどの苦しみを与えただろう。

嘘に覆い尽くされた世界をそのままにしておいていいはずがない。固い決意と共に力を込めて少年を抱き締めれば、細い死体がびくりと揺れる。驚かせてしまった事が心苦しくて、翡翠の騎士は艶やかな黒髪に頬を寄せ、額にそっと口づけた。怖い夢を見たと言っては泣きながらベッドに潜りこんできた我が子の姿と重なって見えた。泣いてぐずる子供たちをあやすときよくそうしていたのだが、顔を上げた少年は目を丸くしてこちらを見つめてきた。目を見開き、固まっている。その表情に受けんでいるのは、困惑の色。翡翠の騎士は苦笑いしながら、少年に囁きかけた。



「ごめん、ごめん。つい癖でねーー。子供たちが泣いた時、よくこうしてあやしていたものだから」



そう言えば、少年の頬が微かに赤く染まり、俯いてしまう。嫌がられてしまったかと思ったが、少年は俯いただけで己の腕を握りしめる手はそのままだ。何も発さない空間はとても静かで、息遣いすら聞こえない。翡翠の騎士はいまだ俯いたままの少年の頭に手を伸ばすと、ゆっくりと撫でた。幾度も、幾度も。彼の荒れ狂う心を鎮めるように。



――あの時、己は大切な人と敵対する道を選んでしまった。その贖罪なのかもしれない。偽善だと人は言うかもしれない。それでも護りたいのだ。彼が望んだたった一つの人が願うその想いを。

この世界で出会ったルルーシュという少年は、愛する彼女と同じ存在であり、同時に今は亡き親友でもある。



彼はまさしくルルーシュと言う人間でありながら、ゼロでもあるのだ。



どうか、見失わないで。

君と言う心を。君を愛する人がいると言うことを。



どうか、忘れないで。

未来と言う希望を。



小さな空間の中で、翡翠の騎士はただひたすら願い続けた。







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