パラレル2

□U
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人気のない廊下を小走りで駆けてゆく一人の少女の姿があった。長いキャラメル色の髪を背に流したまま。新緑に似た瞳を真っ直ぐ前に向け腕に抱えた幾つもの書籍を大切に抱え目的の場所まで走る。隣に並ぶ窓から燦々と太陽の光が差し込む。石造りのこの城はこの地にすむもの達にとって一つの象徴だった。魔族を率いる者――それがこの城そのものである。人の世界のように王とよばれる者は存在しない。かわりに魔族の力の象徴たる人物を中心に国を動かすもの達が集う。その中枢がこの城なのである。少女は今年に入ってこの城で働くことになったが、先日任された事柄は彼女を驚かせた。それはこの城に住むことになったある人の身の周りの世話をするというものだったが、その相手と言うのが先日この国にやってきた敵国の姫君だったのだ。長である青年に頼まれた手前、嫌な度と言うことはできない。困ったような笑みを浮かべて「たのむ」とただ一言告げられた。この国で長と呼ばれる青年を彼女は昔からよく知っていた。茶色い癖毛と翡翠の瞳を持ち、魔族の中でも稀に見るほどの強大な力を有する彼を大人たちは魔族の旗印として祭り上げたのは何時だっただろうか。昔の彼は喜怒哀楽を全身で表現する太陽のような少年だった。けれど、いつしか彼は笑わなくなった。怒りを表に出すこともなくなった。ただ、大人たちの指示に従い、人間との闘いに身を投じるようになった。

少女はふと見えた青空に足を止めた。窓の奥、広がる青空はとても穏やかで、日々、戦いが起こっているなど感じもしない。停戦状態に入ったとしてもいつその均衡が崩れるか分からない。この空の下でどれほどの命が失われただろう。先日の戦いで友人の兄が亡くなった。いつも強く立っていた彼女が泣き崩れ、兄の亡骸に縋っていた姿が唐突に蘇り、彼女は顔を曇らせた。胸の内に湧き上がる痛みを振りほどき、再び歩きはじめる。

目的の場所にたどり着くとふっと一つ息を吐き、笑顔を浮かべる。



この扉の向こうに敵国の姫君はいる。はじめはとても恐ろしかった。長い時を生きる魔族と違い短い時しか生きられない人間という自分たちとは違う生き物。人質となった姫君は自分よりも何倍も幼いたった十七の少女だった。けれど、初めて逢った彼女は臆することなくこちらを見つめてきた。深いアメジストの瞳を真っ直ぐ前に向け佇む姿は気高くとても綺麗だった。長い腰まで届く黒曜石のような艶やかな髪も真っ白な白磁の肌も。簡素なドレスを纏っていても、彼女の美しさは損なわれることなくむしろ彼女の容姿を引き立てているようにさえ感じた。緊張で泣きそうな自分に向け小さな微笑みを向け、礼を言われたのを覚えている。迷惑をかけると悲しげな笑みがよぎって唇をかむ。彼女もまた、この戦いに巻き込まれた者なのだとそのとき気づいた。その瞬間、感じていた恐怖が消え去った。皇女と顔を合わす様になりまだほんの数日だが、彼女が悪い人ではないと分かった。どんな些細なことでも、彼女は必ず「ありがとう」と礼を言うのだ。その上、身の回りのことは自分自身でそつなくこなしてしまう。傅かれるのが当たり前の生活をしていたのではないかと驚く彼女に皇女は苦笑いするばかりだった。

いつの間にか皇女と話す時間が楽しみになってしまっていた。いつもと同じように扉を二度鳴らし扉を開ける。

出迎えてくれたのは、控えめな、けれど耳に心地よい声ではなく誰もいないガランとした室内だった。



「えッ……」



持っていた書籍が音を立てて床に転げ落ちた。







******








「皇女がいない?どういうことよ」

広いとは言えない室内に置かれた執務机に向っていたスザクは書類から目を離さず肩をすくめる。蹴破らんばかりに扉を開け放った友人――カレンは苛立ちをあらわに、そう言い放った。勝気な碧い瞳を露骨に歪め、座るスザクを見下ろしてくる。

「僕に言われても、分からないよ」

スザクが苦笑いしながら、机の上に広がる書類をまとめる。
知らせを持ってきたのは、皇女に付けた侍女だった。カレンの放つ威圧感に耐えられなくて、涙をためている。

「駄目だよ、カレン。シャーリーが悪いんじゃないんだから」

そう苦笑い混じりに言えばようやくシャーリーの涙に気づいたようだった。こほんと咳払いをし、カレンが「ごめんなさい」と謝る。シャーリーは弾かれたように顔を上げた。

「カレンは、悪くないよ。スザク君に、目を離さないでて、頼まれてたのに。本当にごめんなさい」

シャーリーが頭を下げると、彼女のストレートの赤茶色の髪が舞う。その長い髪にふと黒い髪が重なって見えた。それと同時に腕に抱いた細い肢体と感じた温もりがまざまざと蘇り、スザクは息を飲んだ。胸の内から湧き上がる何かがスザクをゆさぶる。けれど、怪訝な顔をしたカレンに呼ばれると同時に幻はすぐに消え去る。スザクはざわめく胸を宥めるために深く息を吐いた。そして――。

「そろそろだと、思っていたから」

ゆっくりと立ち上がったスザクは、窓の外に広がる森を見つめる。
彼女の国と自分たちの国は、この森を境としている。二つの国を遮る森は延々と地の果てまで続いているという。スザクは翡翠の瞳を細め囁いた。

「彼女の目的が何か、知るチャンスだ」


「知って、その先は?」

カレンが問えば、スザクはくすりと笑う。

「――そうだね。内容によっては、殺してもかまわない。彼女は、戦いを仕掛ける為の理由に、十分なりえるだろう?」

どちらが、とは決して言わない。
カレンは、目を見張ったがそれもすぐ、笑みに消える。

「まぁね。こんな状態のまま続くなんて、耐えられないわ。動かないならば、動かせばいい。じゃあ、私行くわね。あんたの部下、何人か借りるわよ」

扉の奥に消えたカレンの背を見つめるシャーリーが困惑しながら、呟いた。

「本当に、あの方を殺すの?」

スザクは答えられなくて、曖昧に笑い、扉に向かう。背中に感じる視線が自分を責めているように感じる。彼女はそんなことを思っていないと分かっていてもあの時感じた罪悪感はいまだ拭い去ることができずにいる。

「――ごめん、シャーリー」


誰に向かっての懺悔なのか、スザクには分からなかった。


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