森の小さな神様

□古の森の女神
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天上界――それは、たくさんの神様が住まう場所。







はるか遠くまで、雲の平原が広がっていました。穏やかな空がどこまでも続く静かな場所で世界樹は深い眠りの中にいました。

いつから、ここにいるのか世界樹自身も知りません。

長い、気が遠くなるほど長い年月、彼はここにいました。



世界樹の大きな体を支える根は、何処からともなく湧き出る澄んだ水にひたされ、そこの見えない深く奥まで伸びています。

彼の役目は、天界と地上を繋ぐこと。

深い根は死者の国を支え、空に伸びる葉は天界を守り、太い幹に人界を抱いていると言われています。

こんこんと眠り続ける日々が続いたある日のこと、ぶるりと生い茂った葉が震えました。

――近くに神が存在する証です。

世界樹は、ゆっくりと目を覚ましました。

「久しぶりだな」

目の前にいたのは、長い若葉色をした髪を持つ女性でした。彼女の名はC.C.。まだ成人していない小柄な少女にしか見えませんが、彼女こそ地上に広がる大地を見守り続ける役目を負う女神でした。

「おお、そなたか」

「休んでいるのに、すまないが、扉を開けてほしいんだ」

「扉か? それはよいが、何故だ?」

「地上を旅しようと思ってな」

世界樹はふむと、考え込むと葉をさざめかせました。

「旅? 人界をか?」

「ああ、そうだ」

「ふうむ、そなたは大地の母であるからな。よい、こちらに参られよ」

ギィ、と重い音が響き、扉が開き始めました。

太く立派な枝がしなり、ざわざわと揺れ始め、そうして聞こえてきたのは、見送りの言葉でした。

優しく耳を擽るささやきに、少女はほほ笑みました。少女が振り返ると、立っていたのは古い友人でした。      

長い黒髪は、ふわふわと波打ち、風の精霊たちが戯れている姿が見えました。

「行ってくる」

少女の姿が扉の奥に消えると、世界樹は再び深い眠りにつきました。

だから、残された大地の女神の友人が呟いた言葉に気付きませんでした。

「いってらっしゃい、C.C.。あの子を見守ってやってね」

風が吹き抜けると、彼女の姿は跡形もなく消え、ただ、おだやかな空気が流れるばかりでした。











◇◇◇◇









深い、深い森の奥。その森はとても不思議な場所でした。

たくさんの神様が住まう天上界。それは、人が住まう世界のどこかと繋がっているそうですが、誰も見たことがありません。



そう、この森は、神々と人を繋ぐ唯一の場所なのでした。













リン――と。



新しく育った命が、若々しく森をやわらかな黄緑色に染めるころ、森の中に響いたのは、鈴の音でした。

木々の道を走りぬけ、幾重にも響き、こだまします。

直ぐそばを流れ落ちる清流の飛沫に混ざり、かすかに聞こえた音に、大樹に背を預け、まどろんでいた一匹の黒猫が顔を上げました。

艶やかな毛並みと、寝転がったほっそりとした肢体を起こす姿はとても優雅です。

美しいアメジストに似た瞳を虚空に向け、呟きました。吹き抜ける風が、黒猫の長い鬚を擽りました。風の精霊でしょうか。

彼は、ただの猫ではありません。彼はこの森を統べる神様であり、神々が住まう天界と地上を繋ぐ柱の役目も負っているのです。

鈴の音とともに聞こえる懐かしい声に、神様は顔を綻ばせました。

『久しぶりだな、覚えているか』

「お前か、C.C.」

『そうだ、懐かしいな、同胞よ』

くすくすと彼女の笑う声が聞こえてきます。

変りない声に、神様はほっと安堵の息を吐きました。

大地の守護を担う彼女が、地上に降り立ったとの知らせを聞いたのは、春の始まりを告げる女神が訪れたときでした。 

あまりにも突然のことで、神様は驚いたのです。けれど、同時に深く納得もしていました。

大地を守護する彼女は、大地の神のほかに風の神の血を受け継いでいるのです。自由に世界をめぐり、気ままに生きる気質を持つのが風の一族なのですから、彼女の行動は至極当然なことなのでした。

久しぶりに聞いた同胞の声に神様はほほ笑みました。そして、問いかけました。

「何かあったのか?」

『やはり、お前は頼りになるな。古の森を知っているか?』

「古……ファリアーヌか?」

『流石だな、あの森に新たな神が選ばれたことを知っているな』

「ああ、それが、どうかしたのか?」

『助けを求めている、力を貸してくれ』

思いがけない言葉に神様はアメジストの瞳を丸くさせました。







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