森の小さな神様

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「ファリアーヌの森だって?」

まだ明るい時間、太陽が空を照らす中、酒場の主人の声が裏返り、目を丸くしています。

周りにいた客たちが一瞬沈黙し、顔を見合わせています。

その気まずい空気の中で、翡翠の青年は戸惑いました。茶色いくせ毛を跳ねさせ、苦笑いを零しました。

「僕は何かまずいことを聞いてしまいましたか?」

青年がカウンターに向かい、問い掛けました。

すると、ガシャンと皿の割れる音が響き、主人は夢から覚めたように瞬きを繰り返しています。そして、足元と手元を交互に見つめました。

「いや、すみませんね、おい!」

主人の声を聞ききつけ、現れたのは小柄な少年でした。

ふわふわとした亜麻色の髪を跳ねさせ、慌てた様子で片付け始めます。

青年は少年をちらりと見つめると、少年もまた青年を見つめていました。

淡い藤色の瞳と青年の翡翠が、混ざりました。時間が止まり、ふと、青年の耳に聞こえてきたのは小さな声です。

『あなたが……』

青年が瞬きをすると、少年はすでに割れた破片を片付け、奥に向かうところでした。

止まっていた時間が動き出し、喧騒が聞こえ始めました。カウンター越しに主人のぶつぶつという文句が聞こえてきます。顔をしかめ、少年が消えていった奥を睨みつけていました。

しかし、青年に向き直ると、満面の笑みに変わります。

「いえいえ、とんでもない!ただ……」

「ただ?」

青年が繰り返すと、苦い声が返ってきました。

「ただ、あの森はねぇ」

主人がちらりとカウンターの奥、青年から離れた位置に座る客に目をやれば、円形のテーブルに座っていた客までも皆一様に頷いています。

「あんた、ファリアーヌの森に何かあるのかい?」

奥の部屋から顔を覗かせ言ったのは、ふっくらとした恰幅のいい女性でした。

青年を見ると、肩をすくませ、笑って言いました。

「いいえ」

青年は笑顔で首を振りました。

「そうだよねぇ。あんな薄気味悪い場所に行くやつなんて誰もいやしないさ」

彼女の言葉に合わせて、客たちは頷いています。女将は目じりを下げました。

「お前さん、ここの人間じゃないだろ?」

青年が着ている服は、動きやすい旅装束です。この村の住人でないことは、すぐに分かることでした。

「あの森にはね、魔物がすんでいるんだよ」

「魔物?」

「ああ、森に入った人間は不思議な力で魔物の虜になって、生気を吸い取られるのさ。お前さん、誰から聞いたかはしらないけど、あの森に入ろうなんて馬鹿な真似はおよしよ」

女将の言葉に、青年は人懐っこい笑顔で礼を言いました。

「ご忠告、ありがとうございます」

青年の足元、椅子の下で丸まっていた黒猫が欠伸を零しました。









店を出たあと、青年は黙々と歩きました。

村を抜け、人通りがなくなったところまでくると、足を止めました。

そして腕の中にいる黒猫を見下ろしました。
「ルルーシュ様、大丈夫ですか? 酔いませんでしたか?」
昼間と言えど、酒場ともあってさまざまなアルコールの臭いが充満し、空気もよくありません。青年は大きく息を吐きました。
 あの酒場は、この村にある唯一のもので、料理は神様ほどではありませんが、十分に美味しいものでした。
 あの店に寄った理由はお腹を満たすことではなく、いまこの場所で起きている現状を知るためでした。

 神様は天界から降り立った姉妹たちからいま流れている噂を聞きましたが、はっきりとしたことがまったくわからなかったからです。
「いや、心配には及ばない。それより、どうやら想像以上に深刻なようだな」

神様の眉間に皺が寄りました。そして、低く唸っています。店での会話を思い出し、青年も顔を曇らせました。
「それよりも、あそこにいた少年だが」
「お呼びでしょうか」
 神様が呟いた瞬間、聞こえてきた声に青年が振り返れば、先ほど酒場にいた少年が立っていました。
 淡い栗色の髪はやわらかで、日の光で透き通っています。にっこりとほほ笑みを浮かべて藤色の瞳を神様と青年に向けていました。

「君は?」

神様が問いかけると、しっかりとした声が届いてきました。

「はじめまして、ルルーシュ様。僕は大地の女神様にお使えしているものです。ロロとお呼び下さい」


 彼もまた、精霊の一人なのでしょう。傍を駆け抜けていった風の精霊が笑顔を零し、木々に宿る木霊たちが興味津津といったようすで、こちらをうかがっています。

「C.C.は元気か?」
神様が言えば、苦笑いが返ってきました。

「ええ、元気すぎるほどですが、すぐにどこかへいってしまわれるのです。ファリアーヌの森まで案内を言い付かっております」


 ロロは破顔すると、はきはきと言いました。

どうして酒場にいたのか聞くと、思いもよらない答えが返ってきました。大地の女神から二人を案内するために待っているだけではもったいないから、地上を勉強するといいと、あの酒場に放り込まれたのだそうです。

もちろん、酒場にいた人たちから記憶は消しましたが、そんなことがあったとは知らず、神様と青年は目を丸くしてロロを見つめています。

大変な思いをしただろうに、彼の笑顔は輝いていました。きっと、彼は大地の女神が大好きなのでしょう。あたたかな気持ちで溢れていました。

神様と青年も、つられる様に顔を綻ばせました。

「どうぞ、目を瞑っていてください」

ロロが空に向い手を伸ばすと、彼らの姿は霧のように消え、残されたのはくすくすと囁き続ける精霊たちの笑い声でした。





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