パラレル2

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「――浮かない顔をなさっておいでですね」



不意に聞こえてきたのは執事の落ち着いた声だった。ずんぐりとした体型でありながら、きびきびと音もなく動く姿にはもはや称賛しか出てこない。手早く薔薇の花を整え、振り返る。眼鏡の奥に見えた細い目がルルーシュを捉える。

ルルーシュは溜息を一つ吐き、口を開いた。



「トムキンスさん、あの悪党、ではなく伯爵に仕えて疲れたりなさらないのですか?」



一拍の沈黙の後、執事はにっこりと微笑んだ。



「ルルーシュ様、執事を振り回してこその主人なのです。主人の無茶をいかにさばききるか、それが執事の素質と言うものなのですよ」



そう言った彼は、さらに追加とばかりにメイドが運んできた花瓶を嬉々として受け取っている。主人に振り回されることをこの上もなく幸せだと彼は言うが、振りまわされる方はたまったものではない。何しろ、毎日のように観劇だのお茶会だの演奏会だの様々な娯楽に付き合わされ正直辟易している。いったいこれのどこが妖精博士(フェアリードクター)の仕事なのか声を大にして叫んでしまいたくなる。彼が己をロンドンに留め置く理由はまさしくそれなのだから。だが、青騎士伯爵の邸宅に通うようになり、妖精のよの字も聞かない。彼は本気で自分を顧問妖精博士として雇うつもりがあるのだろうか。

ルルーシュは唇を引き結ぶと、眉根を寄せ出窓の傍に近寄った。窓から見えるうっすらと霧が立ち込めるロンドンの街並みは、故郷―-スコットランドとは比べ物にならないほど都会で多くの人で溢れている。賑やかで華やかな田舎モノにとって憧れの地。けれど――。

(――やはり、妖精の姿が見えない)

スコットランドでは当たり前のように直ぐ傍にいた小さな隣人の姿が見えない。それがルルーシュの心をさらに落胆させる。いないわけではないが、向こうと比べ自然の少ないここでは、彼らの住む場所はどうしても限られてしまう。そのまま壁に背を預け、溜息を吐いた時だった。



「――ルルーシュ様、ご存じでしょうか?その昔、青騎士伯爵のご先祖にもうっかり妖精の魔法にかかった方がいることを」



「え……?」



物思いに沈んでいたルルーシュの意識を引き上げたのは、もくもくと花瓶の花を整える執事である。唐突な問いかけに驚きながらも、執事の話に興味を持った。青騎士伯爵は一介の妖精博士(フェアリードクター)とはかけ離れた力を持ついわば憧れとも言える存在でもある。そんな雲の上の存在が妖精の魔法にかかるなど考えた事もなかった。



「それはどのような妖精だったのですか?」



抑えきれない好奇心のまま問いかければ、執事はくすりと笑みを零した。そして、にっこりと微笑む。



「―やはり、あなた様は妖精博士(フェアリードクター)でいらっしゃる時の方が何倍も生き生きと輝いておいでだ」



小さな子供に語り聞かせるような執事の姿にルルーシュは居た堪れなくなった。彼に心配をかけるほど、落ち込んでいたのかと自己嫌悪に見舞われる。そんなルルーシュのことなどお見通しとでもいうように執事の話は止まらない。



「ついうっかり接ぎ木リンゴの下で眠ってしまったのですよ」



聞こえてきた言葉にルルーシュは紫の瞳を瞬かせた。接ぎ木リンゴ(インプトゥリー)の下で眠ると妖精に連れ去られる。美しい若者や娘が木の下を通る時は注意しなければならない。妖精の魔力が眠りを誘い、すこし休もうと木の根元に座り込んだら最後、目覚めることはできない。ルルーシュも幼い頃、母マリアンヌからきつく言われていたことだ。自然と共に生きる妖精は陽気な性質を持ち、とても好奇心旺盛で悪戯好きでもある。その好奇心が時折、人を惑わせたり家畜を攫う事態を巻き起こす。この話もそのひとつだ。人に興味を惹かれすぎた妖精は、魔力で人を惑わし妖精の世界へと連れ去ってしまうことがある。そのような妖精が巻き起こすトラブルから身を守るために生まれたのが妖精博士(フェアリードクター)と呼ばれる専門家である。十九世紀となった今では、昔と比べ妖精が見える人間も少なくなり、その知識は失われつつある。しかし、まったくなくなったわけではない。大都市から離れた小さな村や島などには未だその伝説は残っているが、残念ながらそれを信じている人は少ない。そんな中でも妖精が見え、彼らと話すことのできるルルーシュは稀なる存在だった。人と妖精が共存してゆくために知恵を貸し、妖精と取引や駆け引きを請け負う。それが妖精博士(フェアリードクター)と呼ばれるものたちである。



「それで青騎士伯爵はどうなったのですか?」



「美しい妖精女王の元へ連れて行かれたそうです」



遥か昔から青騎士伯爵家へと仕えていたトムキンスの一族には妖精に纏わる伯爵のエピソードが語り継がれているらしい。このお話も彼の父の父から受け継いできたと楽しげに語る姿はとても誇らしげで、ルルーシュも何時の間にか微笑んでいた。



「伯爵は妖精女王と結婚を?」



ルルーシュが問いかければ、執事はゆったりとした動作で振り返り、肩をすくめた。



「もう少しで結婚しなければならなかったそうですよ。でも、伯爵は魔法の呪文を知っていたんです。それでどうにか解放されて人間界に戻ってこられた、とか。――-ルルーシュ様はその呪文をご存じですか?あいにくその呪文までは伝わっていないのですよ」



困ったように眉を下げた執事にルルーシュはくすりと笑みを零した。



「ええ、存じておりますよ。私も母からきつく言われていましたから。接ぎ木リンゴの下では眠るなって」



「流石はブリタニア一族のお方だ」



感心しきった声と共に聞こえてきた未だ慣れない『ブリタニア』の言葉を胸の奥に鎮めながら、魔法の言葉を口に乗せようとした時だった。



「―――『満ち欠けを繰り返す、あの空に見える月を贈ってくださるなら』」



不意聞こえてきた声にルルーシュは身体をびくりと震わせた。耳を打つ低くて滑らかな声は、ロンドンに来てから嫌と言うほど近くで聞いているものである。顔を顰めながら入口を見やれば、仕立てのいいイブニングコートを纏ったこの屋敷の当主が笑顔を浮かべ立っていた。イブラゼル(妖精国)伯爵の名を持ち、英国王室専属の妖精博士の称号を持つ。アシャンバート伯爵は両手で抱えきれないほどの真っ赤なバラの花束を持ち、翡翠の瞳を細めた。そして颯爽とルルーシュの目の前まで歩み寄った。



「ただいま、逢いたかったよ――僕の妖精。君に逢えないこの数時間が拷問に近いほど苦痛だった」



自然な仕草でルルーシュのほっそりとした手を取ると、躊躇うことなくその甲に口づけを落とす。突然のことに固まったルルーシュをよそに、彼は上機嫌で微笑みながら隣に佇む執事に紙きれを手渡した。



「――トムキンス、招待客の追加リストだ、頼んだよ」



「これですべてでございますか?」



差しだされた紙きれを確認しながら、執事は神妙な面持ちで問い返す。それに主人たるスザクは満面の笑みで頷き返す。



「おそらくね。料理の手配は間に合う?」



「――どうにか致しましょう」



社交界の季節(ザ・シーズン)が始ってから、ロンドンでは毎日のようにどこかで晩餐会だの舞踏会だのが開かれている。彼もまたその流れに沿い夜会を主催すると言いだしたのは酷く当然のことなのだろうが、決めた日取りがあまりにも性急だった。準備に一週間もないとはあまりにも酷であろう。だが、主人の無茶な注文をトムキンスはまるで売られた喧嘩のように当然とばかりに買うのだ、それも嬉々として。



「さて、これからが本当の勝負だ。――ルルーシュ、あと三十分もしたら仕立屋が衣装を持ってくるからサイズの確認と気に入ったものを選んで。ああ、もし好みのものがなければ新しく頼んでもいいよ」



「――は?」



手を握られたままにこにこと笑いかけてくるが、耳に飛び込んできた内容にルルーシュは動きを止めた。



「――-衣装?――仕立屋?どういうことだ」



意味が分からないと睨みつけながら、握られたままの手を振りほどく。途端に肩を竦める目の前の男の動きが癪に障る。



「何って、夜会の準備だよ。七月十日は僕の誕生日。だから、僕の隣には是非君にいてほしいんだ」



そっと頬に手を添えられ、見つめてくる熱のこもった翡翠の瞳に吸い込まれそうになる。息が、上手く出来ない。鳴り響く心臓の音が全身に広がる。硬直したまま動けないルルーシュの腰を引きよせ、スザクはにっこりと笑んだ。そして、ルルーシュの頬に口づけを落とす。頬に触れた濡れた感触に身体が震えてしまう。そして、耳元で囁かれる。



「僕の誕生日はついで。――本当の目的は君を僕の最愛の人だとお披露目することなんだ」



低い声で囁かれた瞬間、ルルーシュは自分を囲んでいた身体を突き飛ばした。そして仕事部屋を飛び出す。―――もちろん、捨てゼリフも忘れずに。



「――誰が出るか!!この変態伯爵が!!」



遠ざかる慌ただしい足音を見送りながら青騎士伯爵の名を持つ青年は唇を釣り上げた。その顔に浮かぶのは、楽しげな笑み。



「変態、ね。褒め言葉だと取っておくよ」



―――ルルーシュ、僕から本気で逃げられると思ってるのかい?



くすくすと笑いながら紡がれた言葉をメロウの宝剣だけが聞いていた。

それはとある日のロンドンの一角で起こった出来事。





Happy☆Birthday!suzaku!







end

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