パラレル2

□そらのしたで
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『こら、痛いぞ』



突然頭上から聞こえてきたのはそんな声。

ふさふさとくるりと円を描いている尻尾をゆらゆらと揺らしていた一匹の柴犬はびっくりして立ち止まりました。彼の身体を覆う茶色い毛並みはとてもやわらかで飼い主である彼女に撫でてもらうのがなによりも自慢でした。何故って、自分の身体を撫でているときの彼女の表情がとても優しくて、とてもあたたかい気持ちになるからです。そんな彼の名前は、スザクと言います。 

今年五歳になったばかりの彼の名は、中華のとある鳥からもらったものなのですが、楽しげに語っていた飼い主の言葉はとても難しくて、スザクにはちっとも理解が出来ませんでした。スザクの飼い主はユフィという女性なのですが、彼女の髪は珍しい桃色の優しい色をしていて、いつも笑顔な彼女がスザクは大好きなのでした。今日も彼女と共にだいすきな散歩に出かけたのですが、肝心の彼女の姿は見えません。

いつもの散歩コースとは違った道を歩いたのですが、ついた先はとても大きな壁が続く場所でした。大きな木の囲いをくぐり抜けた先にあったのは大きな庭。それはそれは広く、どこまで走っても終わりが見えません。この場所についた途端、彼女は黒髪の綺麗な女性とともに屋敷に入ってしまいました。置いて行かれたことが少し淋しくて、でもスザクはほっとしていました。自分の大好きな飼い主の友達である彼女はとても明るい少女で、逢うたび可愛がってくれるのはスザクにも分かっています。ただ、力いっぱい抱きつかれるのは苦しくてたまらないのです。 

きれいに切りそろえられた芝生をゆっくりと踏みしめれば、ふんわりとただようおひさまの香り。それにつられてついついぱくりと口を大きく開けてしまいます。口に入れた途端、瑞々しい葉の香りがしました。

口に含みながらごろりと寝転がると、感じるのはとてもやわらかくて気持ちがいい翠の絨毯です。とてもとてもやわらかいそこは転んだってへっちゃらなのです。時折、寝ころぶスザクの目の前を真っ白な蝶が飛んでゆきます。ふわりふわりと宙をおよぐチョウチョの動きを追いかけていると、ぴたりととまったのはスザクの鼻の上。スザクはびっくりして動きを止めました。目を寄せて見つめると、チョウチョはゆっくりと羽を動きかしながら飛び立ってしまいました。その動きにスザクもぴょんと身体を起こします。そしてふよふよと飛んでいるチョウチョを追いかけていた時でした。

突然、声が聞こえたのは――。

スザクはびっくりして尻尾をぶるりと震わせました。何故って、辺りを見渡しても誰もいないのですから。緑の大きな瞳を懸命に動かしますが、影一つ見当たりません。おかしいなぁと首をしきりに傾げるスザクの元に、またしても声が聞こえてきました。

『ほら、そっちじゃない。上だよ、上』

風に乗り聞こえてきた声はとても澄んでいて、スザクの耳に届きます。その声はとてもとても心地よくて導かれるまま顔を上げました。その先にあったのは大きな木。ずっしりとした幹はとても立派で大きく広がった枝は大きく広がっています。その木を囲うように建てられた柵から垂れ下がるたくさんの紫色の花が見えます。スザクは目を丸くして見つめました。こんなにもたくさんの花びらがついているのに、どうしてこの木は微動だにしないのでしょうか。風がふくと、ゆったりと揺れる姿はとてもとても綺麗で。あたりを満たすのは凛とした空気でした。

『おい、俺が分かるか?』

さわりと垂れさがる花が揺れました。途端に、香るのはほんのりとあまやかな匂い。

「だれだ、お前」

スザクはうんと唸りながら問いかけました。声は聞こえても、肝心の姿が見えないからです。ふわり、と風が巻き上がった時でした。くすくすと耳を打ったのは軽やかな声。

『目の前にいるだろう?分からないか?』

目の前にいるのは大きな木。

『俺は藤の木だよ――』

スザクは目を丸くさせました。立ち止まったまま動かないスザクの直ぐ傍を真っ白なチョウチョがゆっくりと泳いでゆきます。けれど、スザクは気付くことが出来ませんでした。何故って、目の前の木から目が離せなかったからです。

「お前、ほんとうに木なのか?」

スザクはうんと首を傾げながら、とことこと木の傍まで近寄りました。途端に、風に乗ってふんわりと甘い匂いがしてスザクは鼻を近づけました。

「お前、とてもいいにおいがする」

スザクがひくひくと鼻を動かしながら、木の根元を嗅げば目の前の大きな木はまたくすくすと笑いました。

『お前ではないぞ?――俺はルルーシュだ』

「るるーしゅ?」

『そうだ、ルルーシュ、それが俺の名だ。小さな子、君の名は?』

さわさわと房を揺らす藤の木の低い声がスザクの耳を震わせます。けれど――。

「俺は小さくないぞ!」

スザクは口を尖らせ、一つ大きな声で吠えると藤の木はさわさわと房をしならせました。

『――それはすまなかった。お前たちは主人を慕い、護る心優しい者たちだったな』

藤の木の囁きにスザクは小さな身体をふるりと震わせました。恐れを感じたわけではありません。その証拠にスザクの茶色い毛並みはほのかに赤く色づいています。とてもとても優しいその声はスザクのぴんと尖った耳に届くたび、心地よい響きをスザクに与えます。 

藤の木のやわらかな声音が胸の奥まで響いてスザクの全身を柔らかく包み込みました。それは、とても優しくてまるで陽だまりの中にいるかのよう。飼い主である彼女に抱きしめられている時と同じくすぐったくてとても幸せな気持ちにスザクは丸くくるりと円を描く尾をゆるゆると揺らしました。その動きは次第に大きくなり、いつの間にか左右に揺れ続けていました。

「るるーしゅ、きれいな名前だな!」

緑の大きな瞳をきらきらと輝かせながら、スザクは木を見上げ笑顔で言いました。すると、耳に届いたのは、優しい笑い声。

『――有難う、君の名前もとても綺麗だよ?

――スザク』



それは、静かな昼さがりの出来事でした。







end

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