薄桜鬼夢小説

□風の引力
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「我々は一刻も早く風間様の跡を継ぐ御子を望んでいます。それは今の状況を考えれば千鶴様もよくご存知の筈」


千鶴は唇を噛み締めた。そんなことはあえて言われなくとも千鶴が一番よく知っている。一年と少し前、千景に連れられてこの里に来た千鶴は、すぐに彼と祝言を挙げた。彼はいつしかの予告通り、その夜、妻となった千鶴を抱いた。純血の鬼同士の、強い鬼の世継ぎを自分に産ませる為だということは誰に聞かなくともわかっていた。そこに愛があるのか、ないのかはこの際関係なかった。千鶴はその当時から既に彼を愛していたが、子を産むということはそれとは別の大きな使命の一つだったのだ。


「我々がこの里で平穏無事に暮らす為に、結局は風間様が人間との間に立たなければならない。人間同士の大きな争いが終結した今、奴らは必ず我々を次の標的と見做すでしょうからな」


だからこそ、千景は今、年に一度設けられた旧薩摩藩幹部との話し合いの為に人里に降りているのだ。今や爆発的に増え続ける人間に頼らなければ、食う物も着るものも満足に得られない。彼らは開拓という言葉を振りかざして大いなる自然を次々と手にかけている。以前なら入り込めないような森の奥深くにまでその手は伸びているのだ。そこに鬼がひっそりと暮らしているのを知ってか知らずか――


「風間様は無用な諍いに巻き込まれぬよう、我々には人里に降りることを禁じられている。そんな中、唯一人間との橋渡しをなさっている風間様の世継ぎが一向に産まれぬとなれば…里の者も穏やかではいられないでしょうな」


鬼は身体能力で言えば人間の比ではないほど勝っている。しかし、世間の荒波に揉まれて知らず知らずのうちに培われた人間の狡猾さや悪知恵にはかなわない。数で勝る人間達に大挙押し寄せられれば、辺りが血の海に染まることは火を見るより明らかだ。風間千景という崇高なる鬼の子孫を、次代への希望の光を皆が望んでいる。無論、それは千鶴も同じだ。だが――


「失礼を承知で言わせて頂ければ、この際、風間様のお世継ぎを産むのは千鶴様でなくとも結構なのですよ。里には僅かですが娘達がおります。中には昔から風間様と共に育ってきた娘も」


それが自分の娘だということは伏せて男は続けた。


「我々も何度となく風間様に提案していたのです。千鶴様をお側に置かれることとは別に、世継ぎのことを考えて里の娘の元に通っては頂けないか、と」


千鶴の顔色はさっと青ざめた。自分が呑気に過ごしている間にそんなことになっていたとは気付きもしなかった。いや、千景は決してそれを気付かせるような態度をとらなかった。


「そうです。千鶴様…あなた様を気遣って、風間様が首を縦に振ることは無いのですよ」


心臓を握り潰されるような胸の痛みに千鶴は顔を歪めた。子供ができないというのは紛れない事実であり、それに苦しんでいるのは自分だけだと思っていた。一度、千鶴は千景に不安を漏らしたことがあるが、彼は「おまえは余計な心配をするな」と薄く笑みを浮かべただけだった。


しかし彼は隠していたのだ。自分が連れてきてしまった娘を今更追い出すことも出来ず、皆からの不安との板挟みになっていることを。


「千鶴様に比べて血統が劣るとはいえ、一族が大切に育ててきた女鬼です。風間様と添い遂げることを夢見ていた娘達は、あなた様を風間様がお連れになったあの日に希望を失いました」


希望に満ち溢れた自分とは反対に――千鶴は心の中で呟いた。


「ですから我々は、風間様がご不在の今、あなた様の意志でこの里を去って頂きたいと、無礼を承知で申しているのです」


千鶴がいても他の娘の元に通えるならば何も問題ないのだが、と男は残念そうに呟いた。そうすればお世継ぎが産まれるのも時間の問題だ、と。


「それに、聞くところによれば千鶴様は江戸で新選組とやらに属して、風間様の下で動いていた雪村綱道なる親代わりの鬼を探す為に風間様と睨み合っていた時期もおありとか。さて、あなた様がこの里に来たのは…真の本心からでしょうかな?」


そう問われて千鶴の胸の痛みは激しさを増した。
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