薄桜鬼夢小説
□晩冬
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――おまえの用意する茶に新選組の命運がかかってるんだからな…美味いのを頼む――
千鶴はいつかの言葉を思い出して微笑みながら台所に立っていた。今となっては手慣れた動作で茶を二つ用意して盆に乗せる。
「お茶、入りましたよ」
卓袱台の上にことりと湯呑みを置くと、何やら難しそうな表情をしていた彼女の夫――土方歳三はああ、と頷いて手を伸ばした。
「…考え事、ですか?」
歳三の向かいに座った千鶴は、控えめに問いかける。彼は黙ったまま湯呑みに口を付けてから、静かに息を吐いた。
「まあな…おまえにこんな事言いたくねえんだが――」
「お金のこと、ですよね…?」
千鶴の言葉に歳三は自嘲気味に笑った。
「知ってたんだな」
「なんとなくですけど…」
千鶴は肩をすくめた。買い出しに行く際に夫から渡される金は日に日に少なくなっていた。気付かないほうがおかしいだろう。
「身体の具合もいい、そろそろ俺も外に出て――」
「駄目ですっ、そんなことさせられません!」
千鶴の意志は固いのか、湯呑みを持つ手にも力が入る。
「駄目だって言われてもな…金を稼いでこなけりゃこの冬は越せねえじゃねえか」
いきり立つ千鶴を宥めるように歳三は言った。
「もう二年経ってんだ、誰も俺に気付きやしねえだろうよ」
「そんなの…そんなの気付かれるその時までわからないじゃないですか!」
「千鶴、落ち着け――」
「私は落ち着いてます! 歳三さんの言うこともわかります。でも…歳三さんが外に働きに出るのは絶対に反対です!」
千鶴の言い分に、歳三は眉をしかめた。彼女は歳三さん『が』と言ったのだ。
「千鶴、おまえまさか――」
千鶴の瞳を射抜く歳三の鋭い視線をものともせずに彼女は口を開いた。
「私が働きに出ます」
「…冗談にしちゃ笑えねえぞ」
「冗談じゃありません。もう勤め先も決めてきました」
「…勝手なことしやがって」
苛立ちを秘めた低い声が小さな部屋に響く。しかし千鶴の決意は固かった。
「私は…わがままになってしまったみたいです」
「…なんだそりゃ」
言ってることの意味がわからねえ、そう歳三がぼやく。
「蝦夷に来る前には…こういう穏やかな生活が送れるようになるとは思いもしませんでした。当時の戦況も、歳三さんの身体の具合も…楽観視できませんでしたから」
「…」
「でも今は違います。こうやって歳三さんと共に幸せな毎日を送っていると…もう昔のようには…戻れません」
千鶴は宙をさまよっていた視線を夫に向けて、今にも泣き出しそうな表情で、だがはっきりと言った。
「歳三さんがいるから、今の私は幸せなんです。だからその幸せを私は何としても守りたいんです。歳三さんに何と言われてもこれだけは…譲れません」
そう言い切った千鶴をしばらく黙って見つめていた歳三は、盛大なため息をはいてからようやく口を開いた。
「…ったく、かなわねぇな、江戸の女には」
歳三はそう言って茶を啜った。彼の了解を何とか得られたことに千鶴はほっと胸をなで下ろし、目に浮かんでいた涙を拭う。
「そこまで言うならおまえの気の済むようにやってみろ、ただし――無理なようならすぐに言え。おまえが思うように、俺もおまえにくたばられちゃ意味がねえからな」
「は、はい!」
「ま、あの屯所でこき使われてたんだ。外に出てもおまえなら上手くやっていけそうなもんだがな」
「…それでも、歳三さんにもこれからいろいろ教えてもらわないと」
「…何だって?」
きょとんとする夫とは対照的に、先延ばしにしてきた隠し事をようやく明るみに出せた千鶴は、少しだけ申し訳なさそうな笑みを浮かべていた。
明治四年。死地をくぐり抜けた二人の心身はようやく癒えはじめていた。しかし二人には新たな現実が突きつけられる。それは、愛し愛されるだけでは生きていけないという非情な現実だった。
戦死したとされている土方歳三は過度の外出を避けていた。側に寄り添う千鶴ももちろんそれを望んでいなかった。死んだはずの戦犯である彼が人目に触れても、良いことなど何一つないのだ。
生活費を得るために千鶴が外に出ることは必然だったのかもしれない。しかしそれは、過去との折り合いをつけきれずにいた二人を明るく照らす道となった。
これは、そんなある日のお話し――