薄桜鬼夢小説

□愛情
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「…こんな所にいたのか」


風間千景は、突然姿を眩ました妻にその理由を問わなかった。彼の最愛の妻――千鶴は隠れ里から少し離れた場所にある大きな桜の木の下で、申し訳なさそうに微笑んでいた。彼女の手には、彼が晩酌に使っている酒瓶が握られている。酒を飲まない千鶴の考えは、察しのいい千景には簡単に想像がついた。


「一人で花見、か――何故俺を誘わない?」


千景の言葉に千鶴は丸い目を見開いた。理由を知っているはずの夫に、少なからず責められると思っていたからだ。


「あの…、風間さん……」


「酒に弱いおまえではどうせ奴らの相手は務まらん。それを寄越せ」


千景は腕を伸ばし、千鶴の手から酒瓶を受け取った。蓋を開けると、水でも飲むかのようにこくりと喉を鳴らす。それから、咲き誇る桜の木が根付く大地に残った酒をゆっくりと注いだ。千鶴はまるで儀式のようなその光景をただ黙って見つめていた。


「…勝手に抜け出して、すみません」


腰を下ろした千景に千鶴がおずおずと呟く。千景は目の前で立ったまま俯いている千鶴を見上げて、目を細めた。


「どうやら些か鈍いおまえにも勝手に屋敷を抜け出し俺を一時でも心配させた自覚はあるようだな」


「鈍い、って…」


「まあいい、とりあえず腰を下ろせ」


千鶴は反論を飲み込んで、千景の隣に腰を下ろした。桜の雨が降る静かなその場所で、二人は口を開かないままその美しい景色を眺めていた。


「…おまえはよくやっている」


不意に千景が言った。


「里に来てからのこの数ヶ月。おまえは風間家の頭領の妻としてよくやっている。慣れないなりに、な」


「っ……」


まさかここでそんな言葉を聞けるとは思ってもみなかった千鶴は目頭が熱くなるのを感じていた。自分がここに来たのは、夫以外の男性――追いつきたくても追いつけなかった、過去の仲間達への追悼のためだ。屋敷を切り盛りしなければならない風間家の女主人としてあるまじき行為だと罵られると思っていた。思い出と共に生きる亡者には務まるものではない――彼にも過去にそう釘を刺されているのだから。


にも関わらず、千景の口調は穏やかだった。皮肉で千鶴を責めるような類ではなく、それは彼の本心だった。


「千鶴、顔を上げろ」


ゆっくりと顔を上げた千鶴の瞳から、溢れ出した涙がぽつりとこぼれ落ちる。千景は長い指でそれを拭うと、真剣な表情で囁いた。


「強情なおまえのことだ、俺と共に生きると決めた時に誓ったように、その胸の中から奴らの存在を消すことはできんだろう」


頬をなぞられながら千鶴は小さく頷いた。


「奴らを想う気持ちがあるのなら、なおのこと胸を張れ。自分の意志を最期まで貫き通した奴らに恥じぬ姿をまた見せに来ればいい」


「……はいっ」


千鶴の胸は高鳴った。それは新選組の皆を偲ぶことを認められたからだけではない。誇り高い夫の言葉に、深い愛情を感じたからだ。


自分は数少ない純血の女鬼だから必要とされているのではないか――その疑念は、婚儀を挙げてからも千鶴の心の奥から消えずにいた。しかし今、千鶴は初めて確信した。うぬぼれていると思われるかもしれない。だが――


「来年は…風間さんも一緒に来てくれますか?」


涙を浮かべながら微笑む千鶴に、千景はふんと鼻を鳴らした。


「…無論だ。息抜きには丁度良い場所を好奇心旺盛な我が妻が早速見つけてくれたのでな」


桜を見上げてそう皮肉った千景の口元は弧を描いていた。彼が自ら新選組の隊士を弔うとはこれから先も決して言わないだろう。


だが千鶴には伝わっていた。彼の心にも皆が確かに生きている。人間を見下している彼が唯一認める人間…それが千鶴の最も大切に思っている人間なのだ。


「……泣きながら何を笑っている」


眉をしかめた千景に千鶴は首を振った。どうせ彼は認めない。そうとわかっていても嬉しかった。


「今日の分は飲んでしまったので…晩酌は無しですね?」


空になった酒瓶を手に取り千鶴は立ち上がる。


「…随分と偉くなったものだな? 俺の酒を勝手に持ち出したのは誰か忘れたのか?」


千景も立ち上がり不敵な笑みをもらす。


「でも、飲んだのは風間さんと…皆さんですから!」


千鶴はくすくす笑いながら走り出したが、途端に草に足を取られて態勢が崩れる。しかし、いつの間にか彼女の先に回り込んでいた千景の胸に千鶴は吸い込まれていた。


「……大丈夫か?」


千鶴を見下ろす千景の目には僅かな動揺が浮かんでいた。千鶴はそれを見て、胸がずきんと痛んだ。


「大丈夫です…ごめんなさい」


「本当におまえからは一時も目が離せんな。子が流れたらどうするつもりだ?」


「…ごめんなさい」


再び謝罪を口にする千鶴に千景は軽くため息をついた。そして次の瞬間――


「きゃあ!!」


千鶴の身体は宙に浮いていた。千景は軽々と妻を抱き上げている。


「大人しくしていろ」


あたふたする千鶴の額に口付けを落として千景は歩き出した。


「…お、重くないですか?」


「重いに決まっているだろう。二人分の命を抱えているのだからな」


そう言って微笑む夫に、千鶴の涙腺はまた緩んでしまった。














*END*

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