薄桜鬼夢小説

□晩冬
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歳三はその日、千鶴を見送った後で「豊玉発句集・二」を眺めながら寝転がっていた。彼にももちろんわかっている。自分ではなく千鶴が働きに出る理由。


「土方歳三の生」が露見すれば、二人の未来はその時点で消えてしまう。自分はともかく、歳三を匿った罪で千鶴までもが命の危険に晒されることになれば、それこそ死んでも死にきれない。


しかし、彼女だけを働かせて生き延びる…そんな現実を男気がたつ彼が簡単に受け入れられるはずもなかった。新選組で鬼の副長と呼ばれていた時から千鶴には苦労ばかりさせてきた。叶わない夢だと諦めていたが、それでもいつか千鶴と連れ添うようなことになったら楽をさせてやりたいと考えたこともあるし、実際に、裕福でなくとも住む家と飯に困ることのないくらいにはさせてやりたかった。


愛しい女の為ならば、人斬りでも盗みでも何でもやってやる覚悟はとうにできている。しかし当の本人がそれを望まないのだから歳三にはどうすることもできなかった。


「江戸の女ってのは…どいつも無駄に強くなりやがる」


ため息混じりに歳三は呟いたが、彼の迷いはどうあれ、千鶴を外に働きに出させたのは紛れない事実だ。


「…診療所、だったか」


千鶴が言っていた勤め先のことを考えながら歳三は手にしていた句集を閉じた。今頃千鶴は、二人の住むこの松前の外れからそう遠くはない藩医の診療所にいるはずだ。彼女に『身体の弱い夫』がいると思っている隣家の住人がその働き口を紹介してくれたのだという。


以前、歳三が薬売りの行商をしていたと聞いていた千鶴は、彼が扱ったことのある薬について大方聞いてからその診療所へ向かった。今はもう当時よりも進んだ薬があるだろうに、千鶴は彼の言葉を真剣に聞き、それはこの新しい勤め先に対する意気込みを物語っていた。そして千鶴がその診療所を勤め先に決めたのはなにも切迫したお家事情によるものだけではない。彼女は、歳三の身体を心底心配しているのだ。


変若水を飲み羅刹となった歳三だが、今は以前のように血を求めることは皆無に等しい。この清らかな蝦夷の大地は、彼の身体に巣くう毒を徐々に癒やしていた。だが、羅刹となり死地をくぐり抜けてきた彼が消費してしまった残された余命まではどうにもならない。回復の手立てはないのだ。だからこそ彼女はこの勤め先を決めた。頼れる人間など自分たちの他にいない今、いざとなれば『身体の弱い夫』が、薬も医療も受けられるであろうその診療所に。


「…ったく、無茶しやがって」


どこまでも献身的な千鶴の深い愛は、今、何もできずにいる歳三にとっては喜びと共に痛みさえ感じさせる。二年前、最後の戦いから目を覚ました時には既に自分の戦死が公表されていた。自分だけ生き残るなど――と息巻いた歳三をなんとか思いとどまらせたのは他でもない千鶴だ。


新選組副長の土方歳三は死んだのだ。今、生きているのは彼ではない。雪村千鶴という鬼の血を引く娘を愛しているただの男だ。しかし、ただ生きているだけでは生活していけないのはどうしようもない現実で、こんな事態になっても弱音を吐かない彼女が頼もしくもあり…そして何もしてやれない自分が恨めしくもある。


悶々とした気持ちを持て余しながら、歳三は再び寝返りをうっていた。
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