薄桜鬼夢小説

□風の引力
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――千鶴様、聞いておられますかな――


虚ろな目をした千鶴が座っていたのは末席――襖からすぐ近くの場所だった。そこには既に三名の男が千鶴を待ち構えていた。これは偶然ではない。前々から計画されていたことなのだ、と、否応なしに千鶴に伝わった。










西の鬼の隠れ里。千鶴がそこに来て一年以上経っていた。鬼にはそれぞれ長けている特徴があったが、それでも姿形を消す、などという神懸かり的なものはない。隠れ里とは言っても、爆発的に増え続ける人間に見つからないでいられるのは時間の問題だった。だからこそこの隠れ里に続く道には守人を置いているし、里の一番奥のそのまた奥に頭領である風間千景の屋敷が建てられている。


その屋敷の一室に千鶴が呼び出されたのはついさっきのことだった。主が不在の屋敷を切り盛りするのはその妻である千鶴の役目である。千鶴は一国の殿様のような威厳を備えている千景とは反対に、自ら率先して動き回っている方が性分に合っていた。そのような雑用は他の者に任せておけ、おまえは俺の相手をしていればいい――口ではそう言って、真綿に包み込むように屋敷の奥で千鶴を押さえ込んでいた彼はいない。千鶴はこれが好機と言わんばかりにあらゆる仕事に――とは言っても掃除や食事の用意など簡単なことではあったが――精を出していた。


「働かざる者食うべからず」と、人間の世界では当たり前の言葉を口に、千鶴は数少ない使用人たちの制止を振り切って汗を流していた。何かをしていなければ考えてしまうのだ。ある意味で、本当の自分の務めを果たしていない自分はこの場所に居てはいけないのではないかという不安を。


そんな矢先、千鶴は千景の側近から呼び出された。側近とはいえ、天霧のように今回の千景の外出の供をするほどではない。先代――千景の父親の代からの付き合いである古い仲間達だ。千鶴は小首を傾げながらも一人の男に案内されるまま屋敷の奥へと進んで行った。勝手な行動をしたのを咎められるのだろうか。風間家の奥方ともあろうお方が…という聞き慣れた台詞と共に。


自分や千景よりも遥かに年配の三人の男鬼の前に座った千鶴に、彼らはこほんと咳払いをしてから重い口を開いた。「風間家の奥方である千鶴様に、是非ともお力をお貸し頂きたい。我々の意見は里の皆の総意と考えて頂いて結構ですので」


「ええと…」


夫が屋敷を離れている今だからこそ彼らも私に直接こうやって話すことができるのだろう。幾分仰々しい雰囲気にたじろぎながらも千鶴は目の前の男達を見た。


「私にできることであれば何でも言って下さい」


背筋を伸ばして千鶴は微笑んだ。これが西の鬼を統べる風間家の嫁として正しいのか正しくないのかは千鶴にはわからない。だが千景には無い親しみやすさがそこにはあった。両側の男達が気まずそうに視線を交わす。しかし、中央の男はそれでこそ奥方様だ、と腕を組んで頷いた。


「回りくどい説明は省かせて頂きますが」


そう前置きして男は千鶴を見据えた。


「千鶴様自らの意志で、この里から去って頂きたい」


男の淡々とした口調に千鶴の思考回路は一瞬固まった。今、何と言ったのだろう? うまく聞き取れなかった――


男はわざとらしく盛大にため息をついてから続けた。


「風間様があなた様をこの里に連れて来られてから…一年が過ぎましたな」


千鶴の喉がこくりと鳴った。


「我らが頭領が千鶴様お一人をご寵愛されているのは周知の事実。聞き耳を立てている訳ではありませんが夜伽の方も――」


男はそこで言葉を止めた。頬から火が出そうなほどに頬を赤く染めて千鶴が俯いたのだ。彼は千鶴を苛めたい訳ではない。冷静かつ合理的に千鶴をこの里から遠ざけたいのだ。


「まあ、それはともかく」


男は再び腕を組んだ。


「我々がこの里の娘達ではなく見ず知らずのあなた様を風間様の妻として認めたのは、何よりもその血統にあります」


俯いていた千鶴の瞳に影が差した。
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