無双夢小説

□怪我の巧妙
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「だから、その…」


名無しさんが口ごもる。聞いていいのか、悪いのか。答えてくれるのか、はぐらかされるのか。ここ最近、堂々巡りになっていた思考回路の中、名無しさんの結論は既に決まっていた。愛する人のことをもっと知りたいという純粋な欲求がその何よりも勝っていた。


「もしかして陸遜さまの怪我は…その…何ていうか…」


そんな名無しさんのまどろっこしい言い回しを凌統はただ黙って見守っていた。「私なんかが陸遜さまを」と、叶わぬ恋心を抱き、胸を痛めてはそれをひた隠し、皆の前では常に明るく振舞い続けてきた妹分の性分は、誰よりも理解している自信があった。誰もが知る強気で勝気な名無しさんは、彼女がこの地で生き抜くために作り出した鎧のようなものだ。繊細で臆病で、奥手な「中身」何とかして隠すために。


「あの…『そういうこと』ができない身体、に、なっちゃったのかな…って」


ずいぶんと時間をかけてようやく目的の質問にたどり着いた名無しさんだったが、結果的には愛する陸遜の沽券に関わるような問いをしてしまった自分に胸が痛くなり、膝に顔をうずめてしまった。しかし凌統はまるで妹でも見守るかのように温かい視線を名無しさんに送っていた。


「もしそうだとしたら…名無しさんは別れんの?」


「ば、ばかなこと言わないでよ! 例え陸遜さまが最初からそうだったとしても気持ちは変わらない!」


「だったら胸張って当の本人に聞いてみればいいんじゃないの。 名無しさんは、れっきとした婚約者でしょうが」


「だ、だってそんなこと」


「餓鬼の恋愛ごっこじゃないんだし…ま、俺から言えることは一つだけかな。『名無しさんの大好きな陸遜さま』は、あんたが想う以上にあんたを大切に想ってるよ」


男と女の駆け引きなど知りもしない名無しさんにとって、一番近くにいる陸遜から感じるちょっとしたすれ違いでさえ受け流すことができなかった。もしかしたら嫌われたのかもしれない。もしかしたら婚約の責任だけで一緒にいるのかもしれない。不安の連鎖は、精神的に成熟しているとはまだ言えない名無しさんをいとも簡単に飲み込んでいくのだ。そして厄介なことに、名無しさんが日々の幸せを感じれば感じるほど、その幸と不幸のふり幅が大きくなっていた。


しかし、凌統のその言葉で、名無しさんはようやく落ち着きを取り戻した。大丈夫、心配しなくとも陸遜なら名無しさんの抱える不安ごと包み込んでくれるはずだ。凌統の頼もしい笑みは、そう名無しさんをはげましているようにも見えた。隠してきた不安を心の外に出したことで幾分気持ちも和らいだのか、ぽろりと大粒の涙をこぼした名無しさんは、凌統の優しさに触れて、自分がいかに臆病者になっていたかということを改めて認識していた。


「…ありがとう」


「そうそう。素直が一番」


そう言って、沈む夕日を眺めながら凌統は再び寝転がった。


「あんたがそばにいなきゃ、今の陸遜さんはいないんだからさ――」


名無しさんも同じようにころんと寝転がり、照れ隠しのようにはにかんだ。しかしこの時名無しさんは大切なことを一つ、言い忘れていたのだ。


陸遜さまには言わないで、と――
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