短編小説

□言の葉の民
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俺の姿は変わらないまま、それから半世紀近くが立った。これまでも何度か人間の紛争を代理戦争にして抗争は度々起きたが、今はもうシャーマン同士の衝突は消えつつある。科学が宗教を超越し、誰も神秘性を思考の柱とはしなくなってしまった。
「こんにちは。注文してた本、届いてますか。」
客はこの前の学生だった。洋書の入手に強い俺の本屋には、よく大学生が脚を運んでくる。特に彼女は毎月3万近くもここで買っていく。そしてなぜかいつも騒々しい。もう下手な隣人よりも深い仲だ。彼女は小柄で、日本人の少女によくありがちなキーホルダーをつけ、そこそこ化粧してここに来る。そばかすが多いのを本人はキにしているらしいが、俺としては、人間の皮膚とはそういうものだろうと思っている。実際、日本の気候は西洋ほど温和ではない。
「合計で7800円だ。」
レジに打ち込んで釣りを取っていると、機械音を立てながらレシートが出てくる。
「あの……ちょっと相談してもいいですか。」
「…………は?」
長いことここで飽きるほどの種類の客を見てきたが、こんなのは初めてだ。
「店長は、誰かを好きになったことってありますか。」
「ない。」
沈黙が流れる。
「……そんなわけないでしょう?」
「ある。なかったら何……」
「あなたのタイプの女性を聞こうと思ったのに!でも店長は男である以前に生き物って感じがするからまあ納得かも。」
「……それはどういうことだ?」
あまりに意外性溢れる反論に硬直しかける。一方、彼女は本をバッグにしまうと憤りを露に店を出て行った。
ドアのベルが鳴った。飾り紐が揺れ続ける。
「…………こりゃまさかだが……」
俺は今少しばかり、いや、もしかしたら結構、彼女の乙女心を傷つけてしまったのではないか。いや、まあただの客だ。股来るだろうから、その時にちょっと侘びでも入れておこうか。そう結論付けてレジを後にし奥の本棚を整理しようかとレジの前を通り過ぎたその時、パスケースらしきものが視界の隅にあった気がした。見てしまったものを、それも店の落し物を無視するわけにはいかず、拾い上げる。中を開けば、地下鉄の定期に名前と年齢、性別が書かれている。

キリハラ ミユキ 20 女

彼はパスケースをズボンのポケットに入れると、店の入り口に「一時留守中」と看板を変え、駅へ向かって歩き出した。
 「ちょっとっ、定期どこ?」
あと一分で発車する快速を目の前に、みゆきはバッグの中身をひっくり返してあるはずの無い定期を探していた。
「いやーもう!」
「おねえちゃん、あと三十秒しか待てないよ。早くしなさい。」
駅員は限界まで待ってくれようとしているが、それにも限度がある。見捨てるのは後ろめたいが、電車を止めるわけには行かない。
 〔間もなく、二番線から快速浦賀行きが発車します。ご注意下さい。〕
「待ちなさいよ!」
所持品を床に広げたまま、みゆきは駅を後にする快速に罵声を浴びせる。駅員はあらあらと笑顔で彼女の後姿を見守っている。
 固い靴底が駅の階段を叩く音が聞えてきた。
 仕方が無い、定期を落とした自分が悪い。落胆しながらもまずは定期の捜索が最優先。きっと本屋に落としたに違いない。ため息をついて振り返ろうとした瞬間、頭上からカードらしきものが降ってきた。
 そこには大々的に書かれた有効期間と自分の名前、年齢、性別があった。
「え……あっ」
パッと手が離された定期はぱたりと閉じると床に落ちていった。驚きながらも急いで拾うと、背後の人物を見上げた。
「……てんちょ……。」
みゆきは信じられない思いと嬉しさでいっぱいで、言葉が一切出てこない。

「言葉に出さなければ、何も伝わらないからですよ。」

彼の脳裏で、再びこの台詞が木霊し始める。

「次の電車まで、一時間くらいかるだろう。紅茶でも飲んでいかないか。」

みゆきの頬に、僅かに喜びの表情が浮かぶ。そしてそれは満面のものとなった。
「本当ですか!あの……ケーキとかスコーンもあるんですか?やっぱりティータイムと来たらお供は決まってるじゃないですか!」
無言で歩く彼の後姿を追いながら、みゆきは意気揚々と説得する。

「そんなものない!」



             END

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