短編小説

□MIWATASUKAGIRI-どこまでも-
1ページ/2ページ

八月。午後七時台。藍色の空の水平線の向こうから、規則的に波が訪れる。
「あっちゃ。死んだ先には何があんだがな。」
また始まった。この癖が無きゃ、かわいい我が妹なのだが。
「お前ぇ、工学一筋のオレさ訊くが、それを。」
「誰も相手さしてけねんだもん。」
「んだべな。」
流石は夏。夕日が落ちてもまだ明るい。体育座りで口を尖がらせて精神世界を旅する妹とその兄とオレと、この海岸に二人しかいない。木製のテーブルに二人で座り込んでいる。夏の夜っていい。涼しいし、海の風が一番気持ちいい。剥き出しの上半身を潮風が洗う。
「あっちゃ、蚊。」
「痛っ。」
言い終わらないうちにオレの背中を叩いた。見事な手首のスナップ。
「人の背中で潰すんでねぇ!おがしなんけなエキス付くべな!」
「血ぃ吸うんは子育て中のメスだげだ。潰すんは可哀想だかんな、近くば叩いだ。」
「んだったか。」
ビンタ喰らった箇所だけはじんじん傷む。
「そいやあっちゃ、お前ぇ、数学できたっだか?」
「……そりゃあ、高専程度なら、できんだべな。ま、安心せ。お前よかできっから。」
「たった一つの取り柄だべ。」
「そ、それより何だ。本編は。」
「んだんだ。星っこの明るさだが遠さだがに使うあのへんな数字ば何だ?あれさほんずねくて、この前の本ばわがねかった。」
「は?数字って、どんなやつ?」
「……忘れたじゃ。」
「ほんず無し。」
「…………。」
星か。久しく見ていないな。美しいのは海だけではないのか。オレは話題に思い出されて空を見上げた。三日月と無数の星が浮かんでる。オレはある話を思い出した。
「トルコさ、こんな話があるらしい。大昔、日本人とトルコ人は同じ民族で同じ土地で同じ暮らしば送ってて、あるとき、そこを起点に、東の太陽さ向かったのど西の三日月さ向かったのとに別れだった。そんで今日の日本の国旗さ太陽があって、トルコの国旗さ三日月があんだと。マジだべか?」
「……嘘でもねんでねぇの?遠い昔の事だかんな、忘れてまってるだけでね?」
「何でも忘れでまるんだな……。」
「んだ。……楽園なんてえらいいいどご追い出された代償の智恵ってのは、こんなもんなんだな。」
千年前にもここで同じ事を考えた者が居たかもしれない。この地上に誕生したその瞬間から、ヒトは宇宙ほどの量を考えてきたはずだ。けれども、分からない事だらけである。考えて答えが出れば出るほど、疑問が噴出する。一体いつになったら最終段階にはいるんだろう。でも、もし神がこの世界を創ったなら、その時は、この歴史という神の読む物語のおしまいかもしれない。
「裸眼で見えんのに、おっかねぐ遠くさいるんだ。訳分からん。どったら構造してんだ、宇宙ってのは。一生懸命生きてもこんなちっちぇえ……地面ば揺れたら死ぬんだで。何でヒトって死ぬんだべ?普段気にもとめねぇけんど、いっとこま考ぇてみんば分かる。こええ。あっちゃがこって存在してんのも、明日にでも嘘になってまるかもしんねんだで。」
彼女はオレの肩の筋肉に指を立てながら訴える。指が肉を押すたびに、オレの存在を確かめているんだろうか。
「何であっちゃは、いっつもこがって吾がききゃ「仕方ねがべ」で済ませられんの?もっと危機感ば持て!」
「んな事ばし考えってらば、宇宙の前にオレの脳ミソが爆発しちめえべな!吾もいなもほんずねんだから、考えんな!……無常ってんだで。何でも直ぐに消滅変化ばしてく事。昔の人は、それも“をかし”って考えてったらしいな。死なねえば、いづまでもずっと永遠に悩んで悩んで苦しみ続けるべな。今のお前ぇみてんにな。」
「あっちゃ……。いなもこったら事ば考えんだな。」
感嘆するな。これだけ毎日言われ続ければ、少しは考えたほうがいいのかという気にもなるものに決まっている。
「お前のほんずだけだば足りねぇべな。」
「…………。」
隣で妹がうっすら微笑んだ気がした。こいつは微笑む(というよりはにやける)とアルカイックスマイル状態になる。写真なんかみんな微妙な出来になっている。
「ほったいもいじるな。」
「あ?……ああ、えっと。」
午後八時の曲が流れ始めた。ドボルザークだ。隣で妹はのんきに歌い始める。
「ラードドー、シーソーラー。ラードーシーソーラー。ミーソそ……。地震?」
「マジかよ……。」
うっすら尻に振動を感じる気もする。じっとして、全神経を研ぎ澄ます。その時……。
「やんべえ!来る!あてなっ、オレの方さ……。」
オレは木製のテーブルから降りると、妹を引き寄せ、収まり次第直ぐにバイクに乗せて帰れるようにしたかった。しかし、彼女は海に仁王立ちで向き合っていた。その背中は挑んでいるようにも見えた。
「まーだお前ぇはそやって自分さ嫌がらせばすんだな!けんど自分は負けねんかんな!神様だろうがなんだろうが、絶対ぇ答えば見つけて見返してやるからな!今のうちに馬鹿にしてろ!」
足元に落ちていた貝を、規則的に打ち付ける波にぶつけた。
「あてな!撤収だ撤収!」
「あっちゃは黙っとれ!取り敢えずこのストレスば海さぶつけでから帰っべし!」
絶叫しながら彼女は次々と何かを拾っては海に投げつける。終に左右両腕使い始めた。
「落ち着け。」
オレはため息をつきながら我が妹に近づく。
「地震には津波が付きモンだべ?ストレスば発散すんのはいいけんど、今津波さ攫われったら、そごそ死んでも死に切れないねえべ?」
「……んだな。まずは逃げっべ。あっちゃ、はよバイク出せ!」
「何でお前ぇが命令して……。」
「横揺れさ気ぃつけな。」
縦揺れは収まれど、横揺れは続いていたらしい。初期微動と主要動の時間差は短かった。震源は近いらしい。オレはそんなこんなと考えながら、立ち上がるとバイクを出した。さも人工的に舗装された道路を抜けると、民家の立ち並ぶ細い、かつ舗装の荒い道路になった。
「なあ、あてな。さっき、オレどったら結論ば出したったか?地震で忘れてまった。」
背に抱きつく妹に問う。いやにカッコイイ事を言ったしまった気がする。
「……吾も忘れだ。」
バイクはノンストップ・ハイスピードでメインロードを駆け抜ける。この田舎町では、夜は交通量は少ない。多少信号を無視したって問題は無い。
 バイクをとばす兄の背後で、妹はうっすらと笑みを浮かべていた。
(死ぬんは苦悩からの解脱の為なんで。)

               終
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ