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□禁じられた遊び
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うとうとしていたらしい。
隣に彬さんの姿はなかった。
視線を巡らせてわたしは息を呑む。彬さんはいなくなっていたけれど、彼の秘書の乃木坂さんが座敷の戸口に立ち、わたしを見下ろしていた。
感情の読めない抑制された表情に冷たい眼差し。彬さんの右腕といわれるくらいだから有能なのだろう。
だけど、わたしは彼が苦手だった。
乃木坂さんは青白い顔をしてじっとわたしを見ている。
彼は彬さんを迎えに来るとき以外にも、わたしに食料や生活用品を届けるためという、彬さんのごく私的な使いで定期的にこの家を訪ねてくる。
その役目は、乃木坂さんにとって不本意以外のなにものでもないはず。それを証明するように、彼は必要最低限しか口を開かないし、決してわたしの顔を見ようとしない。
その彼がわたしを凝視している。忌まわしいものを見るような眼差しのなかに、わずかに覗いた感情のかけら。
動揺。そして、恐れ?
なぜ。
はだけた衣服を掻き合わせて、わたしはそろりと身体を起こす。びく、と微かに後退した乃木坂さんの口から漏れた言葉。
「なぜ」
驚いて目を瞠る。それはわたしの台詞だ、と思う。
なにかがおかしい。彬さんといいこの乃木坂さんといい、なにか、いつもとようすが違う。
厭な感じだ。わたしひとりだけがなにも知らずにいるような気がする。それは、わたしの世界がとても狭い、限られた部分でしか機能していないせいかもしれない。
彬さんと乃木坂さん。普段のわたしの生活には、このふたりしか存在しないといっていい。だから彼らに異変が起きると、それに比例してわたしの足許も不安定になる。
「彬さんは、どこに」
そう問いかけたけれど彼が答えてくれるとは思えなくて、途中で口を噤む。
額を押さえる。それはわたしの癖だった。
柘植くんからまだあの石をもらっていなかったころ、頭痛に襲われるたびにてのひらで額を押さえ付けた。それで症状が軽くなるわけではないのだけど、無意識のうちに手が動いた。
そのせいか、いつからか、不安になると額に手をあてる癖が付いていた。
石は。
いつも肌身離さず持っているあの石が見当たらないことに気付いてあわててあたりを見まわす。部屋の隅に置いてある鏡台の上にそれを見付けてほっと息をつく。
布団から出て鏡台に向かって手を伸ばしたとき。
後頭部に衝撃を受けた。
畳に両手をついた姿勢で肩越しに振り返る。背後に、見覚えのある細長い花瓶を手にした乃木坂さんが立っていた。
撲られた痛みは感じなかった。
ああ、そうだったのか。
腑に落ちた。
もう一度、凶器を振り上げた彼を見あげてわたしはいった。
「無駄です。もう、わたしを殺すことはできません」
彼の動きが止まった。
「なぜ」
色をなくした唇がふたたびつぶやいたその言葉。
「なぜあなたがまだここにいる? 私が」
殺したはずなのに。
能面のような顔をした男はそういって手にした花瓶を落とした。鈍い音がして畳のうえを転がる。
不思議なほど冷静な心持ちでわたしは応えた。
「わたし、気付いてなかったみたい。自分が死んだことに」
あの日、いつものように荷物を届けてくれた乃木坂さんは、珍しく、わたしが用意したお茶に手を付けた。もちろんそんなことはそのときがはじめてだった。嬉しくて、急いで茶菓子を用意して戻ったわたしは緊張しながら自分の湯呑みに口を付けた。
そして。
わたしは死んだのだ。
おそらくお茶に毒が盛られていたのだろう。けれど間抜けなことに、わたしは自分が死んだことに気付かなかった。そのままふつうに生活をつづけていた。
そう考えると彬さんのようすがおかしかったことも、先ほどの乃木坂さんの反応も納得できる。
乃木坂さんがわたしを疎ましく思っているのは知っていた。彼が彬さんを大事に思えば思うほど、わたしの存在は許し難いものだっただろう。
彬さんは将来を嘱望された有能な嫡子。わたしは彼の父親が愛人に生ませた異母妹。
それだけならばまだしも、なにを思ったのか、彬さんはわたしを恋人にした。
半分とはいえ、たしかに血の繋がった妹を、彼の父親がそうしたように愛人として囲ったのだ。それはこの世では絶対に許されない禁忌。もしこの秘密が他人に知れたら、彬さんの社会的地位は失われて彼の人生は破滅する。
彬さんが父親の跡を継ぐ前から公私共にずっと彼に仕えてきた乃木坂さんにとって、それはあってはならない結末。
こんな致命的な不安要素をいつまでも容認できるはずがない。彼はいつかわたしを排除するために行動を起こすだろうとわかっていた。
それでもいいと思っていた。