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□それは恋、もしくは愛
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 鹿島草太は弁当屋のひとり息子で、この四月から高校二年生になる。
 咲は彼が中学生のころから知っているが、ちょうど成長期ということもあってか、高校生になってからみるみるうちに背が伸びて、顔つきや骨格がおとなのそれに変わってきた。
 母親に似て端整な顔立ちをしているが、口が悪い。口は悪いが、咲が帰るときにはわざわざアパートまで送ってくれる。
 過去に近所で痴漢騒ぎがあったせいだが、いまだにこうして律儀に咲を送り届けてくれるのだ。
 草太にいわせれば、
「おまえみたいなどんくさいのがひとりで夜道をうろうろしてたら真っ先に変態の餌食になるだろ」
 ということらしいが。
 弁当屋で働きはじめた当初、咲は鹿島家に住み込みで雇ってもらっていたので、店主やおかみさん、中学生だった草太と寝食をともにしていた。
 ちょうどそのころ、弁当屋は、それまで働いていたひとが辞めてしまい、急遽アルバイトを募集していて、たまたまそれを見付けた咲がその足で駆け込んだのだ。
 咲は自分専用の部屋まで与えてもらったけれど、だめだった。
 店主やおかみさんはやさしかったし、咲をへんにお客さん扱いすることはなく、まるで家族のようにすんなりと受け入れてくれた。それがとても嬉しくてありがたくて、でもすごくこわかった。
 家族みたいに一緒に暮らしているうちに、ほんとうにそうなのだと錯覚してしまいそうで。
 着の身着のままふらりと現れた咲を雇ってくれただけでもありがたいのに、家に置いてもらっている身分だということを忘れて、あたりまえのように家族の輪のなかに入り込んでいる自分があつかましくて、恥ずかしくなったのだ。
 咲は、店の近所にあるアパートに空き部屋を見付けた。偶然にも、そのアパートがくだんの小金井老人の所有だという話を聞いて、思いきって事情を打ちあけて、部屋を借りることはできないかと無理を承知で尋ねてみた。
 小金井は驚いたようだったが、とにかく店主やおかみさんと一緒に相談してからということになり、咲は世話になりっぱなしの鹿島夫妻に話を切り出した。
 ひきとめられたけれど、いつまでも甘えるわけにはいかない。自分も家族の一員になったかのような勘違いをするまえに、この家を出なければと、そう思った。
 その理由はもちろん告げなかったが、家を出たいという咲の意思が固いことを知った鹿島夫妻は、最終的に咲の気持ちを尊重してくれ、小金井は破格の家賃で咲に部屋を貸してくれた。
 契約のための書類を手に、咲はひさしぶりに父親を訪ねた。
 弁当屋に住み込みで働かせてもらうことが決まったときに、いちおう連絡だけはしていたが、父親は咲に関心がない。
 このときも、会うことは会ってくれたが、父親はなにも尋ねることなく無言で書類に目を通すと、署名捺印をして咲に返した。
 それだけだった。
 咲は、心のどこかで期待していた自分に気付いた。今度こそ、なにか言葉をかけてくれるのではないかと、はかない期待を抱いていた自分の愚かさを思い知った。
 やはり自分には帰る場所なんかないのだと。

 こうして、結局、周囲のおとなたちの厚意に支えられる形になってしまったが、咲はそこでひとり暮らしをはじめて、今に至る。



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