子羊は夜の底で夢を見る
□第二夜
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羽野明日香は繁華街に佇んでいる。
十一月にしては暖かい夜。
明日香は一軒の居酒屋の入口に注意を向けていた。黒いパーカにジーンズ、長い髪をうしろで束ねてキャップの下に収めている。そういう格好をしていると、ボーイッシュな少女か、少女のような男の子、どちらにも見える。
明日香はひとを待っている。
といっても待ち合わせではない。
相手は明日香がこの場所にいることを知らないし、明日香自身も彼女と会うことが目的ではない。
つまり見張っているのだ。
なんのために、と聞かれても困る。言葉に表せるような明確な理由はない。
漠然とした不安。
それだけだ。
思い過ごしならそれでいい。もしなにかが起きてからでは遅いのだ。
目立たない場所に立っているつもりなのだが、通りすがりの人間が声をかけてくる。うるさい。明日香はそれらを完全に黙殺する。
だが、先ほどから三人の少年たちがしつこく絡んできて閉口していた。
外見に金と手間を費やし、肝心の中身はがらんどうという典型的な人間のようだ。こういうタイプはプライドだけは人並み以上に高い。
さて、どうすべきか。明日香は考える。視線はしっかり居酒屋を捉えたままで。
今は騒ぎを起こしたくない。
そう思ったが、少年のひとりが明日香の肩を掴む。彼らの発音は不明瞭で、なにをしゃべっているのかわからない。
どうやら、明日香をどこかへ連れていこうとしているようだ。それは困る。
ふいに、明日香の肩を掴んでいた手が離れた。背後から伸びた腕が少年の顔面を押さえている。正解には掴んでいる。まるでバスケットボールかなにかのように。
少年は悲鳴ともつかない情けない声を漏らした。
呆気に取られたのは明日香だけではない。ほかの少年たちも呆然と立ち尽くしている。
「おれの連れになにか用か」
明日香のすぐそば、頭のうえから声が降ってくる。低く、よく通る声だ。振り向くと、黒いジャケットがまず目に入る。視線をあげる。削いだような頬の線。鋭い眼差し。
男は一度も明日香を見ず、無造作に少年を放り出す。ほかのふたりが避けたため、その少年はコンクリートのうえに投げ出された。かなりの衝撃を受けたはずだが、それにはかまわず、両手で顔を押さえて呻いている。よほど圧迫されたのだろう。
反撃してくるかと思ったが、その心配は杞憂だった。彼らは気勢を殺がれたらしく、倒れたひとりを引きずるようにして逃げていった。
残ったのは、明日香と男のふたり。男はそこでようやく明日香を見た。無表情だ。
自分の連れだといって助けてくれた男に向き直り、礼をいう。
「どうもありがとう」
「いや。あんた、なかなか度胸がいいな」
どの言動に対して度胸がいいといわれたのかがわからない。首を傾げる明日香に、あまり関心のなさそうな口振りで男は続ける。
「さっきのガキどもが戻ってくるかもしれん。あんたはもう帰ったほうがいい。それとも、だれかと待ち合わせているのか」
「待ち合わせというか、一方的に待っているんだけど。この場所、まずいかな」
「まずいだろうな」
あっさりと男はうなずく。
「あんた、ストーカーか」
突然の言葉に面食らうが、今の自分の行為はたしかにそれに近いと思い、明日香はおかしくなった。
「うーん、そういわれると否定できないかも」
「やめとけ」
やれやれというふうに男は首を振る。
「未練はあるだろうが、諦めも肝心だ」
明日香は噴き出す。
「なにを想像しているの。待っているのは友だちだよ」
「友だち?」
男は怪訝そうな声になる。
「なんで友だちを尾けるんだ」
「べつに悪いことをしようとしているんじゃないよ。むしろ逆」
「は?」
明日香は強引に話を変える。
「あなたは? 待ち合わせ? それともただの通りすがり?」
「連絡待ちの通りすがりだ」
「へえ、恋人?」
「違う」