斎姫鬼譚
□学校へいこう3
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「キヨ」
「イツキってば、すぐに出ていっちゃうから捜したよ。次の授業は自習だから、イツキはお客様をご案内して差しあげるようにって、先生から伝言」
教師もおそらく気を遣ったのだろうが、喜ぶべきなのかどうか微妙なところだ。
とりあえず、わざわざ追いかけてきてくれたキヨに礼をいう。
「ありがとう」
すらりとした長身に短い髪。凛とした雰囲気をまとうキヨはサクヤに微笑みかけてから、今はじめてその存在に気付いたように、サクヤの傍らに寄り添う男を見た。
先に口を開いたのはシノブの方だった。
「サクヤの友か」
「あ、うん。同じクラスのキヨ……」
と紹介しかけたサクヤの口を、彼の掌が素早く塞ぐ。突然のことにびっくりしてサクヤは固まる。
「あにをふる」
なにをする、と抗議しながら手を剥がそうとするが、サクヤの力ではびくともしない。
サクヤの言葉を封じたまま男はいう。
「そう簡単に相手に名を教えてはいけない。我々にとって、名は特別な意味を持つ」
サクヤは目を見開いて彼を見あげ、続いて友人に視線を向ける。
この男はなにをいってるんだ。名前は名前だろう。
我々、というのはつまり、彼の国では名前に関してそういう特別な文化があるということだろうか。
頭のなかで疑問符が飛び交うサクヤとは異なり、キヨは驚いたふうもなく軽く頷くと
「キヨと呼んでください。それが通り名です」
と自己紹介をした。
「了解した。私のことはシノブと呼んでくれ。せっかく考えた名前なのに、サクヤは一度もそう呼んでくれない」
ふう、とため息をついてあてつけがましくいう男の指を、サクヤは思いきり噛む。慌てて手を離した彼をキッと睨みつけてサクヤは反論した。
「あんたがあんなことをいうからだよ。一度は教えてもらったっていう名前を忘れたのは、そりゃ完全にわたしが悪いけど、ツバサのことをあんなふうに」
あの時のことを思い出してサクヤは唇を噛む。
この男に名前を尋ねたとき、彼はそれに答えるのを拒んだ。
そして、もし不便ならば、かりそめにシノブと呼ぶようにといい、あからさまに不満げな顔をするサクヤにいい聞かせるように続けた。
「ツバサにかりそめの名を付けたのはサクヤだろう? 彼には彼の真名がある。たとえ本人が覚えていないにしても、だ。彼をツバサと呼ぶなら、私をシノブと呼ぶことにも問題はないだろう?」
と。
ツバサのことを持ち出されてサクヤは動揺した。
なぜそのことを彼が知っている、と訝しく思うと同時に、祖母が話して聞かせたのかもしれないという可能性に気付き、少し落ち着いた。
サクヤがまだ小さかった頃、家の裏の森で倒れていた男の子を見付けて祖母と保護した。
その子供は身体のあちこちにひどい怪我をしていてボロボロだった。死にかけていたといっても過言ではない。
たしか、その前の晩はものすごい嵐で、小さな子がひとりで出歩けるような状態ではなかった。
行方不明の子供がいたら町で騒ぎになるはずだが、そういった話はなく、その子がどこから来たのか謎のままだった。
しばらくすると、子供は生気を取り戻したが、彼は自分の名前もどこから来たのかも、なにも覚えていなかった。
そしてその頃にはもう、サクヤはその子供にすっかり懐いていて、祖母は家族として彼を受け入れることにしたのだった。
ツバサという名前はサクヤが付けた。
なぜその名だったのか、今ではもう記憶も定かではないが、名前が大切なものだということは、幼いながらにサクヤにもなんとなくわかっていた。
名を付けたものには情が湧く。
決して、かりそめのものという意識はなかった。
それなのに。