BL/ML

□メビウス
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僕にはどうしようもなく怖いものがある。
ものごころがついた頃にはもう、それが怖くて怖くてたまらなかった。


血と、刃物。


どちらも、それが目に入っただけで恐怖のあまり身体が硬直して動けなくなる。
原因はわからない。
幼い頃に、それがなにかトラウマになるような体験をしたわけでもない。それなのに。
とくに、血は駄目だ。
匂いがしただけで気分が悪くなって、下手をするとそのまま気を失うことすらある。
だから肉や魚は食べられないし、そもそも包丁を直視できないので、自分で食べるものを調理することさえできない。


僕はおかしい。異常だと自分でも思う。



  *  *  *  



「痛っ」


指先に鋭い痛みが走る。
真新しい本のページをめくるときに紙で指を切ったのだ。みるみるうちに指先に赤い玉が膨れあがる。


「――――っ、」


自分の手を見下ろしたまま凍りつく。動けない。
不意にぐいと手首を掴まれて引き寄せられる。指先がぬるりとしたものに包まれて、視界から赤い色が消えた。
目の前で、僕の指を咥える高槻を呆然と見つめる。


「……あ」


高槻は僕を見下ろして、見せつけるかのように僕の指に舌を絡める。
普段からあまり感情のこもらない無機質な瞳に見据えられて、目を逸らすことができない。
しばらくして口を離すと、僕の手首をとらえたまま高槻はいった。


「気を付けろ」


僕はまだ身動きができず、目だけで頷いてみせた。
周囲から痛いほどの視線を感じる。振り向くことができないけれど、教室にいるクラスメイトたちがこちらに注目しているのがわかる。


「見世物じゃねえぞ」


いつもと変わらない淡々とした声で高槻がいうと、とたんに視線が散らばる。
高槻は同じ高校生とは思えない妙に凄みのある雰囲気を纏っていて近寄りがたい。不良とかそういう感じではなく、内側から漂う不穏な気配が他人を遠ざける。
眼差しだけで相手を黙らせることができる人間を僕ははじめて見た。



  *  *  *  



この男子校に入学して、見るからにひ弱でへんな性癖を持つ僕はすぐに目をつけられた。
今までも、いじめられるというほどではなかったけれど、からかわれて嘲笑されることには慣れていたから、ああまたかと思って諦めていた。
だけど、この学校での絡まれかたはそんなものではなくて。


入学して数日後、いきなり先輩たちに取り囲まれて体育倉庫に連れ込まれた僕は、そこで危うく犯されそうになった。
僕は女の子みたいな顔をしているとよくいわれるし、恥ずかしいけれど痴漢にあうことも珍しくない。
でもまさか、学校でそんなふうに襲われるなんて考えたこともなかった。
そのときに助けてくれたのがこの高槻だった。


たまたま僕が先輩たちに絡まれるのを見ていたのか、見張り役として入口に立っていたひとりを一撃で倒して乗り込んできたかと思うと、あっというまにその場にいた先輩たちを全員床に沈めた。
高槻は暴力に慣れているようだった。
血の匂いとショックで気絶した僕は高槻に保健室へと運ばれたらしく、意識を取り戻したときにはベッドに寝かされていた。
傍らに腰掛けて僕を見下ろす高槻に気付いたとたん、僕はなぜだかわからないけれど恐怖に駆られてがたがたと震え出した。
血の匂いと犯されかけたショックのせいだけじゃない。
僕は高槻が恐ろしくてたまらなかった。血や刃物と同じくらいに。


助けてくれたのにそんなふうに感じてしまう自分が申し訳なくて、だけど怖くて仕方なくて。
お礼をいわなくちゃと思うのに、舌が凍りついたように口がきけない。
高槻はそんな僕に気を悪くしたのか、突き刺すような眼差しでじっと僕を見つめていた。
その目が、怖いのだ。
そう気付いたとき。


「やっと逢えたな」


ぽつりといった高槻に驚いて僕は目を見開いた。
なにをいわれたのか理解できなかった。高槻の言葉は、まるで僕のことを知っているとしか思えない。けれど、僕は高槻に会ったばかりで、そんなふうにいわれる意味がわからない。
それに、やっと逢えたという台詞のわりに、高槻は少しも嬉しそうには見えない。かといっていやそうな素振りでもない。
僕の疑問を察したのか、高槻は眉を寄せて尋ねてきた。


「覚えていないのか」


「……え?」


高槻の表情が変化した。
自嘲するような皮肉めいた笑みを浮かべて制服の内ポケットから折り畳み式のナイフを取り出す。
銀色にきらめく刃を前にして僕は凍りつく。
高槻は刃先を自身の手にあててすっと引いた。


「ひっ」


現れた鮮やかな血の色に思わず悲鳴が漏れる。
その僕の反応を見て高槻はつぶやいた。


「そうか。お前が覚えているのは血と凶器だけなんだな」


舌で血を舐めとると高槻は宣言した。


「お前はおれのものだ。今度こそそれをわからせてやる」





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