BL/ML

□死がふたりを分かつまで
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  *  *  *  


ああ、泣かないで。
悲しまないで。
苦しまないで。

あなたをひとりにはしないから。


  *  *  *  


秋月孝太郎。それが、御陵(みささぎ)の好きな人の名前だ。
秋月は職場の先輩で、御陵は彼のことを「秋月さん」と呼んでいる。
御陵が「秋月さん」と呼ぶと、秋月はものすごく嫌そうな顔をして、たいてい聞こえないふりをする。それでもめげずに呼び続けると、ようやく振り向いて、苛立ちをあらわにした凄まじい目付きで御陵を睨む。
ただでさえ端整な目鼻立ちをした顔で、今にも射殺(いころ)されそうな恐ろしい眼光を向けられるのだ。ほかの人間なら即座に竦みあがるらしいのだが、御陵の場合は怯えるどころか、秋月の視線が自分をとらえているのだと思うだけで嬉しくて、もしも彼が犬ならぶんぶんと尻尾を振りたくっているに違いないというくらい、にこにこと満面の笑みを浮かべて氷の眼差しを受けとめる。

そんな御陵に、周囲の人間は「お前、ほんとに秋月さんが好きなんだな」となかば呆れながら声をかける。
「はい」と元気いっぱいに肯定する御陵は、よくいえば裏表のない、はっきりいってしまえば単純な性格をしているため、彼がいう「好き」という言葉も他意のない、たとえば甘いものが好き、猫が好き、といったものと同じ好きだと周囲からは認識されていた。
だが、それは違う。
御陵が秋月を好きなのはそういった意味ではなく、もっと深い好意であり、つまり、恋愛感情としての「好き」なのだ。

御陵は、それをまだ誰にもいったことがない。もちろん、秋月本人にも。


  *  *  *  


「秋月さん、お昼ご一緒してもいいですか」

午前の業務が終わり、御陵は見えない尻尾をふりふり秋月の席に向かうと、彼を誘った。
いつものことなので、秋月は先に席を立って姿をくらますことが多いのだが、今日は運よく、その前に彼を掴まえられた。
だが、それに対する反応もいつものことで、しばらくの無言のあと、すげない返事が投げつけられる。

「遠慮する」

御陵は、秋月がなにかを食べているところを見たことがない。さすがに、休憩中に珈琲を飲んだりしている姿は目にするが、誰かの土産ものや差し入れなどの固形物を口にするのを見たことがない。
だからというわけではないだろうが、秋月はとても痩せている。とはいえ、男性なので、女性と比べると骨格はしっかりしているし、それなりに筋肉もついている。それでもやはり痩せていることに変わりはなく。
この人、ちゃんと食べているのかな、と御陵は心配になる。
しかしそれも、秋月からすると余計なお世話でしかないようで、御陵が身体を気遣うたびに、気が立った猫のように全身をピリピリさせて睨みつけてくる。

「あの、おれ、弁当作ってきたんで、よかったら食べてください。お口に合わないかもしれませんが」

御陵は毎朝、自分の弁当と一緒に、秋月のぶんの弁当も詰めて持参する。
いまだに一度も受け取ってもらえたことはなく、しょんぼりしながら自分で食べるか、ひとり者の男性社員からせがまれて譲ったりと、全敗だった。
秋月から嫌われているのはわかっている。その理由が、おそらく、こうしてことあるごとに御陵が秋月に接近するからだということも。

根っからの人間嫌い。
秋月孝太郎を知る人間が彼を評すると、そのひとことに尽きる。
とにかく、他人との接触を極端に嫌い、仕事に最低限必要なこと以外ではまず口を開かない。
そうなると当然、職場での彼の立場はあまりいいものではないが、仕事に関しては誰よりも厳しく、完璧にこなすので、容認されているといった状態だ。

「いらない」

御陵の手にある弁当には目もくれず、秋月は背を向けてドアへと向かう。
中学からずっと運動部に所属していたこともあり、長身でがっしりとした体格の御陵が小さな弁当箱を手に背中をまるめている姿は、傍から見れば滑稽を通り越して憐れみを誘う。
今日も駄目だったか、とがっかりする一方で、でもちゃんと返事をしてくれた、無視されなかった、会話ができた、と喜びを噛みしめる御陵の背後から、飯田という、くだんのひとり身の男性社員が声をかけてくる。

「お前も懲りないよな。いくらがんばっても秋月は受け取らないって。あいつ、ゼリーとかカロリーメイトとか、そういうのばっかり食ってるし」

「えっ」

初耳だった。勢いよく振り向いた御陵に驚いたようにのけ反る飯田に、掴みかからんばかりに尋ねた。

「そうなんですか?」

「ちょ、落ち着けって。家ではどうか知らんけど、少なくともここではそうだぞ。おれが知る限りでは、だけどな」

そういって飯田は御陵の手から弁当を取りあげる。

「だからこれ、おれにくれ。お前の作ったメシ、まじでうまいんだよな。なんなら金払うから、今度から秋月じゃなくておれに作ってくれ」

本気とも冗談ともつかない飄々とした口調でいう飯田に、近くの席で一部始終を見ていた別の社員が笑いながら揶揄する。

「飯田さん、そういうのは彼女にねだったらどうですか」

「いねぇよそんなもん。わかっていってるだろお前」

「失礼します」

「え、おい、御陵」

飯田に弁当を渡したまま、御陵はドアへと向かった。




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