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□掌のなかの小鳥
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光はおとなしい子供だった。
彼が生まれ育ったのは山奥の田舎で、住人の半分以上が年寄りというのどかな土地だった。
むかしながらの伝承がいまだに日常生活に影響を及ぼすような土地柄で、子どもたちはおとなから数々のいい伝えを聞いて育つ。
むやみに山へ近付いてはいけない、というのもそのうちのひとつだった。
山には気の荒い神様がいて、もしその神様と出会ってしまったらそのまま連れ去られてしまう。むかしばなしなどではなく、おとなたち、とくに年寄りはそれを本気で信じていた。
実際に、この村ではある日忽然と子どもが姿を消すことがあった。原因はわからない。だからこそ、神隠しといった現象が現実のものとして認識されていた。
光はおとなしく、また聡明な子どもだったので、おとなたちのいいつけを守って山に近付くことはしなかった。けれども、やんちゃ盛りのほかの子どもたちが素直にいうことを聞くはずがなく、あまのじゃくというのか、禁止されると余計にやりたくなるのが人間の心理。
ある日、光は子どもたちに無理やり連れられて山に入ってしまった。
最初のうち、わあわあと騒いでいた子どもたちは奥へと進むごとに口数が減っていき、しまいにはみんな無言になってしまった。怖じ気づいたひとりが「もう帰ろうよ」といい出すと、村のガキ大将的な存在である子どもが「意気地なし」と罵る。その声が震えているのに光は気付いていた。
そのとき、あたりの空気が変わった。急激に気温が下がり、ぴんと張り詰めた緊張感がその場を支配する。
光は息を呑んで立ち竦んだ。
わかる。人間ではないものがすぐ近くにいる。
「うわあああっ」
ひとりが悲鳴をあげて逃げ出すと、ほかの子どもたちもつられてパニックを起こしたように我先にと駆け出す。
その場には光ひとりがとり残された。ガタガタと震える光になにかが近付いてくる。人間ではありえない圧倒的な存在感と、あたりを払うようなすさまじい気にあてられて光はよろめく。なにかにつまずいて地面に転んだ。
「私が恐ろしいか」
聞こえたのは、思いがけず玲瓏とした涼やかな声。なにかもっと地を這うような恐ろしい声を想像していた光は驚いて顔をあげる。
射抜くような鋭い眼差しを感じる。
沈黙のあと、ふたたび声が聞こえた。
「そうか、そなた、目が見えぬのだな」
得心がいったという響きに、光は声がする方向へ顔を向ける。そのとおりだ。光は生まれつき目が見えない。だから、いま目のまえに存在するものの姿も見ることができない。
「聡い、美しい顔をしているな。名はなんという?」
「光、です」
「光か。よい名だ。気に入った」
なにをいわれているのかわからない。混乱する光に、声は一方的に告げる。
「そなたは私のものだ。ほんとうならば今すぐにも連れ帰りたいが、まだ世を知らぬそなたにはあまりに哀れであろう。光を名に持ちながら、光を知らぬとは」
澄んだ声がわずかに憂いを帯びる。声はつづけた。
「そなたに光を与えよう。その代わり、そなたは私のものだ。私以外が触れることは許さぬ。時が満ちたなら迎えに参ろう。よいな?」
返事を待つまもなく、ふいにふさふさしたものが顔に触れて光は驚く。まるで獣の毛のような。
目の奥に違和感を覚えて瞼を閉じる。暗闇のなかでうごめくものがあった。そんなことははじめてだ。見えるはずがないのに。
「光、ゆめゆめ忘れるな。契りを破ることは許さぬ」
光はおそるおそる目を開いた。
眩しい。痛い。
これが、光。
このときから、光は視力を手に入れた。