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□ビター or スイート?
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「わ、悪かった。以後気を付ける」

 曲がりなりにも、もの書きを生業としているおれだが、文章に起こすのとは違い、しゃべるのは苦手だ。しかも、弁が立つ野々宮が相手ではまるで歯が立たない。完全に分が悪い。

「あんたはいつもそういうだけでまったく改善の兆しが見られませんが?」

 ぐうの音も出ない。
 しかも湯舟からは完全に湯が抜けて、おれは素っ裸を晒している。情けないやら恥ずかしいやら。間が悪いことに、そんな状況でもおれの胃は空腹を訴える。ぐうの音も出ないといった側からぐうと腹が鳴る。笑えない。空気を読め、おれの胃め。
 うつむいていると、頭の上でため息をつく気配がした。野々宮の手が伸びてきて、バスタオルでおれの身体を軽く拭くとそのまま包み込む。
 野々宮はおれの身体を抱えて浴室を出ると寝室へ向かう。少し乱暴にベッドに放り出される。

「の、野々宮?」

 彼はリモコンを操って冷房を起動させる。そうして上着を脱ぎ捨て、ネクタイを緩める。
 おれを見下ろしていった。

「様子を見に来たんですよ。何度も。あんたは自分の世界にこもっていてまったく気付いてくれなかったけど。食事の用意もして帰ったけど、次に来たときにはそのまま手付かずで残っていた。あんたはいったん集中すると最後までこちら側には戻ってこないから、仕方ないと思った。わかっていたけど、」

 そこで言葉を途切らせてため息をつく。

「遠い。あんたはおれなんかの手の届かない人だ。それなのに、あんたを繋ぎとめようと必死で縋りついているおれは愚かで惨めだ」

 驚いておれは身体を起こす。バスタオルがシーツに落ちて肌が晒されるが、そんなことはどうでもいい。

「なにをいってるんだ」

 傍らに立つ野々宮の手を掴む。冷たい手。力を込めて握りしめるとぴくりと反応する。

「来てくれてたのに気付かなかったのは謝る。ごめん。わざとじゃない。ダメなんだ。おれはいったん書きはじめると周りが見えなくなる。それだけはどうしようもない。許してくれ」
「わかっています。それがあなたの才能です。おれはそんなあなたに惚れたんですから」

 どきっとする。野々宮がこんなふうに面と向かってそんな台詞を口にするのははじめてだった。
 おれは焦った。いやな予感がする。いやな予感しかしない。

「いやだからな! おれは別れない。おれが悪いんだけど、でもいやだ。お前、おれの面倒見るっていったじゃないか。お前がいなくなったら誰がおれにご飯食べさせてくれるんだよ。お前がいなかったら、おれ、餓死するからな! お前がいないと死ぬからな!」

 おれはもう必死で、自分がなにを口走っているのかわからなかった。両腕を伸ばして野々宮の身体に縋りつく。離さない。殴り倒されたって離さない。
 しばらくの沈黙のあと、そっと肩を掴まれてびくりとする。

「冴羽さん」

 おれはますます力を込めて野々宮にしがみつく。野々宮の手がおれの頭を撫でる。
 ふと異変を感じて、はたと冷静さを取り戻す。おれは野々宮の腰にしがみついている。その、つまり、彼の男の部分にもろに身体が接触しているわけで。野々宮が興奮しているのがダイレクトに伝わってくるわけで。
 つい今しがた、あれほど離さないと強く誓った身体からあわてて身を引くが、野々宮の手がそれを阻む。
 おそるおそる顔を上げると、それはもう憎たらしいほどにやにやと笑う野々宮と目が合った。やばい。完全に欲情してやがる。

「まさかあんたの口からそんな言葉を聞けるとは、夢にも思いませんでしたよ。しかもそんな姿でおれにしがみついて。いったいいつのまに、こんなテクニックを覚えたんです?」
「ばっ、馬鹿やろう! そんなんじゃねえ! 離せっ」
「お腹が空いているんでしょう。おれを食べさせてあげます」
「どこのオヤジだお前はっ! や、やめろって」

 そんなきれいな顔でしれっと寒いことをいうな、頼むから!
 そしてこの手を離せ!

「おれがいないと死んじゃうんでしょう? 大丈夫。一生面倒を見てあげます。ほら、口を開けて」
「やめ、ん、んんっ」

 おれはなにか激しく間違ってしまったかもしれない。








 ♣♣♣ 


ちなみに野々宮家家訓。

【落としたい相手がいたらまず胃袋を掴め】

非常に有効なようです。



2010.11.2


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