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□兄貴の甘い罠
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おれは低血圧で寝起きはぼうっとしている。半分寝ているようなもので、かろうじて食卓につくものの当然食欲はなく、ぼうっとしたままちびりちびりと牛乳を啜るのが精いっぱいという状態だ。
母親がなにかいっているのを聞き流しながら生返事をする。いつものことだ。母親だって、おれがろくに話を聞いちゃいないのはわかってるはず。
それなのになんで。
そんな大事なことを、よりによって朝、寝起きのおれにいうんだよ。
自分のことを棚に上げておれは母親を恨んだ。
♣♣♣
「草壁、カラオケ行かね?」
HR後の教室で帰り支度をしていると、友人のひとりが声をかけてきた。おれは返事をためらう。
両親、とくに母親は、兄貴が際限なくおれを甘やかすせいで、必要以上におれに厳しい。今どき、高校生だというのに門限があるのはおれくらいのものだろう。しかも午後8時には確実に家に帰っていないと、その日から一週間、罰として夕飯の後片付けと風呂掃除をさせられる。自分からやるぶんにはかまわないが、強制的にさせられるとなると話はべつだ。なんかいやだ。だからおれは黙って門限を守るようにしている。
学校帰りに寄り道をすることはあるが、ファストフード店やファミレスでだべるくらいで、門限には余裕で間に合う。
でも不思議なもので、カラオケとなると時間の感覚が狂って、そんなに経っていないと思っていても、あっというまに門限を過ぎていることが多々ある。過去に門限破りをした原因のほとんどがカラオケに行ったときだった。
門限があることは友人には話していない。それでなくとも兄貴のことで散々からかわれているのに、これ以上、いじられるネタを提供したくない。
おれの逡巡に気付いた友人はニヤニヤしながらいった。
「なに、もしかして今日も兄貴が帰ってくんの?」
「ばっ、恐ろしいこというなよ」
言霊ってもんがあるのを知らないのか。本当にそうなったらどうしてくれる。ぞっとしながらおれは鞄を手に取った。
「行くよ」
「よっしゃ」
話を聞いていた周りの奴らが口々に参加を表明する。
「おれも行く」
「おれも」
「部活のあとで行ってもいいか」
週末で休み前のせいか、話に乗ってくる奴らが多い。部活が終わったあとで来るとか、体力ありあまってんな。
おれは呆れながらいった。
「どうせいつものとこだろ。来たい奴は来ればいい」
ふと、まだ席についたままの委員長が目に入る。
「委員長は?」
おれが声をかけると、委員長は驚いたような顔でこちらを見た。
「僕?」
「そう。ああ、委員長は部活があるんだっけ」
何部かまでは把握していないが、おれみたいに無所属でふらふらしている奴のほうが珍しい。自由な校風が売りの男子高だが、ほとんどの奴は部活に入っている。当然、委員長もそうだろうと思っていたのだが。
「いや、僕も無所属」
意外だった。
「委員長は生徒会に入ってるから」
代わりに友人が付け足す。委員長は苦笑を浮かべて立ち上がる。
「僕も行こうかな」
そうこうするうちに、なにやらクラス会のような規模になってきた。
おれ、門限までに帰れるのか?
♣♣♣
案の定、時間が経つのはあっというまで。
バイブ設定にしていた携帯が震えているのに気付いたおれははっとして画面を開く。デジタル時計は20時半を過ぎていた。そして。表示された着信の相手にぎょっとする。
おれは周りの奴らに断って部屋を出た。おそるおそる通話ボタンを押す。
「冬馬? 今どこにいる?」
なんで兄貴が。
「カラオケ屋」
「いつもの場所?」
「そう」
「今、何時かわかってるよな」
もちろん兄貴もおれの門限を知っている。
それ以上に、なにかいやな予感がした。
「10分後に迎えにいく。いいね」
いやだといえるはずがなく。おれは重い足取りで部屋に戻ると、先に帰ることを告げて自分の代金をテーブルに置いた。
「なに、マジで兄貴が帰ってきたとか?」
おれはそいつを睨んだ。
「おまえのせいだからな」
言霊というか、これはあれだ。
噂をすれば影がさす。