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□紅い花
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 真っ白な雪のうえに散った紅の椿。凍てつく大地に根を張り、モノクロの世界に凛と咲き誇る濁りのない紅。
 幼い日に見た、その鮮やかな色彩が目に灼きついて離れない。
 禍々しいほどにきれいで。
 紅い。
 赤い。
 ――――違う。
 少年は異変に気付く。彼の視線の先にはひときわ大きな花の塊。
 ――――花、じゃない。
 白のなかに凍えた赤い花。禍々しいほどにきれいなそれは、ひとの形をしていた。

「おかあさま」

 *****

「――――、」
 泉はふっと意識を取り戻した。心臓がどくどくと早鐘を打ち、全身にいやな汗が滲む。指先がとても冷たくて身体が動かない。
「泉さま、気が付かれましたか」
 淡々とした声がいう。耳に馴染んだその声に、固く強張った身体から緊張がほどけてゆく。ゆっくりと瞬きをして、泉は視線だけを動かす。
 傍らに、能面のような顔をした男の姿を認めてほっと息をつく。
「宗像」
 掠れた声で名を呼ぶと、黒服に身を包んだ男は長身を屈めて泉の顔を覗き込んだ。
「失礼します」
 そう断って泉の額に触れる。冷たい手。宗像の手はいつも冷たい。泉はこの感触が好きだった。
 宗像はいつものように泉の体温と脈を計ると手を離した。そうして、息苦しくはないか、痺れはないかといった質問をしてくる。泉はそれにひとつひとつ答えながら、夢に見た赤い残像をたぐりよせる。
 赤い、紅い、血のような花。
 花のような、血。
 恐ろしいほどにきれいで残酷なあの光景。
 雪に埋もれるようにして事切れていたのは、泉の母親だった。精神を病んでいた彼女は自ら毒を煽って死を選んだ。彼女が愛した庭の椿の下で。
「泉さま」
 昏い記憶に沈む泉を引き戻すように、宗像が頬に触れる。青白い顔に陶酔の色を浮かべた泉は、濡れた瞳で、傍らに控えるしもべを見上げた。
「おかあさま、きれいだった」
 頬に触れる手を掴んで、うっとりとささやく。
「赤く染まって、とてもきれいだった。花みたいで」
「泉さま」
「ぼくも、雪のなかで死にたい。だれにも見付からないように、雪の下に埋もれて」
 ぴく、と宗像の手が震える。
「あの椿の木の下に。ねえ、ぼくが死んだら、あそこに埋めてくれる? だれにも見付からないように、深く、深く、奥のほうに。そうすれば、だれにも迷惑をかけなくていい。おにいさまも、ぼくのことでわずらわされなくていいでしょう?」
「泉さま」
「ごめんね、宗像。ぼくなんかの面倒を見るために、おにいさまから引き離されてこんなところに」
 宗像の手が泉の口を塞ぐ。突然のことに驚いて目を見開く泉を冷ややかに見下ろして宗像はいう。
「泉さまは、まだ少し錯乱しておられるようです。薬をお持ちしましょう。もうなにも考えずにお休みになるとよろしい」
 離れていく手をとらえてとっさに縋りつく。
「ごめんなさい、怒らないで」
 宗像の手を掴み、必死に起きあがろうとする泉に向き直ると、宗像は主の細い肩をそっと寝台に押し戻した。
「怒ってなどいません。泉さま、私はあなたにお仕えすることを不満に思ったことはありません。生涯、あなたにお仕えするつもりでおります」
 思いがけない言葉に泉は息を呑む。震えるその唇に触れて宗像はつづける。
「ですから、なにも思い煩うことなく、ゆっくりとお休みなさい。あなたはお母さまを亡くされたショックで深く傷付いておられる。あなたには休息が必要です」
「でも」
 泉の母親の事件が起きてから、もうずいぶん時間が経っている気がする。
 あれはいつのことだった?
 鮮烈な紅い記憶は色褪せることなく、それがいつのできごとだったのか判然としない。つい昨日のことのようであり、もうずいぶんむかしのことのようにも思える。
 泉は、宗像に縋りついた自身の手を見る。その手は、記憶にあるよりも成長している。幼い子どものそれではない。
 すうっと血の気が引いていく。
 子どもというには大きく、おとなというにはまだ未熟さを残した手を凝視しながら泉はつぶやく。
「ぼくは、いま、いくつ?」
「泉さま?」
「え? どうして……ぼくは、」
 頭が痛い。掴んでいた宗像の手を離して頭を押さえる。
「泉さまは、十四歳におなりです」
 耳許でそう声がした瞬間、腕を掴まれて痛みが走る。見ると、いつのまに取り出したのか、宗像が注射器を手にして泉の腕に針を刺していた。
「あ……」
 硬直するあいだに液体が注入され、針が抜かれる。
「な、にを」
「鎮静剤です。さあ、なにも考えずにお眠りなさい」
「むな、かた?」
「おやすみなさい、泉さま」
「――――、」
 その声にうながされるように、泉は意識を失った。



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