BLSS

□君は知らない
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 そろそろだと思っていたら案の定、きみからの着信があった。
 それは午後、昼休みが終わってすでに仕事を再開したあとのことだったので、画面に表示された着信だけ確認して、次の15時の休憩時間になってから電話をかけ直した。
 3コールめで君は出た。
『蓮見?』
「うん、さっきはごめんね。仕事中だったから」
『いや、こっちこそ、悪い』
 ふだんから訥々とした話しかたをするきみだけど、ことさら元気のない声でぼそぼそと謝るきみに、ぼくは自分の口許が緩むのがわかった。込みあげてくる笑みを気取られないように気を付けながら、おもむろに水を向ける。
「どうした? なにかあったのか」
 われながら白々しい台詞だと思う。きみは少しためらったあと、おずおずと用件を切り出してきた。
『あの、さ、蓮見、今晩、なにか用があるか』
「今日? いや、空いてるけど」
『会えるか?』
「いいよ。ついでに晩飯食べようか」
『ん、いつも悪いな』
「なにいってるんだよ、水臭いな」
 待ち合わせの場所と時間を決めて通話を終え、端末をしまいながら喫煙所へ向かう。きみの声を聞いたあとは無性に煙草が吸いたくなる。たまたま通りがかった同じ部署の女性社員が、ぼくを見て意外そうな顔をした。
「蓮見さん、なにかいいことでもあったんですか」
「どうして?」
「なんだか、すごく楽しそうな顔していますよ」
 ぼくは笑った。
「うん、ちょっとね」

 *****

 待ち合わせ場所は、駅通りにある居酒屋だった。ぼくは騒がしいところがあまり好きではないけれど、きみは反対に、静かな場所や落ち着いた雰囲気の店が苦手で、そんな互いのあいだをとって、きみと会うときにはたいていいつもこの居酒屋になっていた。
 よくある賑やかなチェーン店ではなく、席はひとつずつ仕切りで隔てられていて、だけど完全に個室というわけではなく、周囲の声や物音が聞こえてくる。それも会話を遮るほどではなく、店内に流れるBGMの一部のようで、ちょうどいい。
 きみは先にきていた。
「お待たせ」
「いや」
 席は和風の座敷ではなく座り心地のいいソファで、いちいち靴を脱ぐ必要がないところが気に入っている。
 きみの向かいに座り、おしぼりを運んできた店員に生ビールを注文する。べつにビールが好きなわけではないが、いきなり焼酎やカクテルを頼むときみがぎょっとした顔をするから、とりあえずビールを飲むことにしている。
 きみはすでにビールと、いくつか料理を注文していた。
「年明けに会って以来かな」
「そう、だな」
 ぼくの言葉に、きみは少し考えるように眉をひそめてから小さくうなずいた。
 最後にきみと会ったのは1月13日の夜だ。覚えている。それなのに語尾をぼかしたのはもちろんわざとだ。今日は4月10日。あれから約3ヶ月が経つ。
 ぼくは片手でネクタイの結び目を緩めながら、約3ヶ月ぶりに会うきみを観察する。きみは人と目を合わせるのが苦手で、ぼくと会っているときにもいつもうつむきがちにしているので、咎められる心配はなく、遠慮なく眺められる。
 柔らかそうな、茶色がかった少し癖のある髪は自然なかんじに整えられていて、形のいい耳を緩やかに覆っている。きゅっと引き結ばれた唇は、おそらく緊張のためだろう、かさかさに乾いているようだ。
 濡らしてやりたい、と思う。
 そんなよこしまな気配を感じ取ったかのように、きみは顔をあげてぼくを見た。やさしい、甘い顔立ち。髪の色と同じく、色素の薄い瞳は、心のなかが透けて見えるのではないかと思うほど濁りがない。生まれてまもない赤ん坊のような目をしている。
 その瞳がふいに泣き出しそうに潤んで、ぼくから逃れるようにふたたび伏せられた。身体が疼く。
 店員がビールの入ったジョッキを運んできた。ついでに刺身とサラダを追加で注文して、ぼくはきみに声をかける。
「きみはなにか頼みたいものはないの」
「え、あ……じゃあ、揚げだし豆腐をひとつ」
 そうして店員が去ると、ぼくはビールの入ったジョッキを持ってきみに差し出す。きみは半分ほど中身が残った自分のそれを手に取ると、おずおずと近付けてきた。ふたつのジョッキが軽くあたってカツンと音を立てる。
「乾杯」
 きみは泣きそうな目をしたまま微かに笑った。



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