BLSS

□兄貴の夏期休暇
1ページ/11ページ



おれは寒い冬も苦手だけど夏も苦手だ。
暑い。暑すぎる。

「冬馬、あんた夏休みだからっていつまでゴロゴロしてるつもり」

ソファに寝そべって気持ちよくうたたねしていると母親のつんけんした声が飛んできた。
草壁家の母親はよくいえば倹約家で、どんなに暑い日でも日中は居間だけしか冷房を使わない。二階のおれの部屋にも冷房はあるが、夜はともかく、昼間から使おうものならねちねちと小言を食らうはめになる。それに辟易して、唯一、明るいうちからの使用を公認されている居間に避難するわけだが。
自室とは雲泥の差の涼しい居間でのんびりくつろいでいると、運悪く母親に見咎められておれはうんざりした。

「こうも暑いと出かける気にならないんだよ」

そういいわけしながらごろんと寝返りをうつと、エプロン姿で掃除機を手にした母親が仁王立ちしていた。

「まったく、若いのに情けない。掃除機かけるからどいて。課題はやったの?」

無言になったおれをじとりと睨んで母親は容赦なく宣告した。

「図書館にでも行ってすませてきなさい。今日のノルマが終わるまで帰ってくるんじゃないわよ。わかった?」
「うげ」
「うげ、じゃないわよ。夏樹が帰ってきたらあんた宿題なんかやる余裕ないでしょ。今のうちに片付けておきなさい」
「げ」

この「げ」は課題に対する「げ」じゃない。いきなり飛び出した兄貴の名前に対する心の声だ。だだ漏れだけど。
今は8月。夏休みまっただなかの盆前。
社会人の兄貴もそろそろ盆休みで長期休暇に入る頃だ。うっかりしていた。この暑さで脳がいつもの半分くらいしか機能していない気がする。
ん、盆休み?

「あっ!」

おれは思わず叫んで飛び起きた。つい寸前まで死んだ魚のようにぐったりしていた息子のいきなりの言動にさすがの母親も驚いたらしく、手から掃除機が落ちた。ゴツッと鈍い音がしたと思ったら母親がその場にうずくまる。

「え、ちょ、どうしたんだよ」
「……あんたねえ、いきなり大声出すんじゃないわよ! あいたたた」

どうやら足の上に掃除機を落としたらしい。仁王立ちしてるからだよ、とは恐ろしくて突っ込めない。

「ご、ごめんって。大丈夫?」
「大丈夫じゃないわよ。あんた代わりに掃除機かけてくれる?」

いや、いくらなんでもそこまでじゃないだろ。
最近の母親はなにかと理由をつけておれに家事を押しつけてくる。といっても、食器洗いや洗濯ものを畳むくらいだからべつにやってもいいんだけど。
でも今はそれどころじゃない。

「や、悪いけどおれ用事思い出した」
「そんな古典的ないいわけが通用すると思ってるの」
「いいわけじゃなくてまじで! 母さん、兄貴いつ帰ってくるって?」

勢い込んで尋ねるおれに怪訝な顔をして母親は答えた。

「夏樹から聞いてないの? 明日の夜には帰ってくるそうだけど」
「明日っ!?」
「なんなのよさっきから」
「ちょっと出てくる」

涼しい居間を飛び出して二階の自分の部屋に駆け込む。一応、窓は開けているが風がないので意味がない。灼熱地獄だ。

「冬馬? ……もう、ちゃんと宿題してくるのよ」

階下で母親が念を押すのが聞こえたがそれどころじゃない。
早くも額に汗がにじむのを感じながら財布を引っ張り出して中身を確認する。ついでに机の引き出しの奥に隠してある貯金箱も開けてみる。せっかくの夏休みを出かけるでもなくだらだら過ごしていたお蔭でなんとかなりそうだ。少し余分にお札を入れた財布をポケットに突っ込んで立ちあがる。
そのまま部屋を出ようとして、仁王立ちしていた母親の顔を思い出す。おれは速やかに引き返して机に戻ると、積みあげてある課題をいくつか適当にバッグに詰め込み、勉強どころじゃないと思いつつも念のためペンケースも入れて、最後に携帯を手に取り今度こそ部屋を出た。
それだけで全身汗びっしょりになった。
くそ、夏なんか嫌いだ。



次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ