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□飛んで火に入る冬の馬
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それどころじゃなくてうっかり忘れていたが、修学旅行先が兄貴の住む県だった。
普通ならイヤな予感しかしない偶然だが、今のおれにはもっけの幸い、願ってもないチャンス到来だ。携帯で現地の地図を検索して、これはいけると踏んだおれはすぐさま計画を立てた。そのためには悪友たちとの観光を棒に振ることになるが、背に腹は代えられない。
1日めの自由時間のあいだだけ抜けることを同じ班のやつらに伝えて、もし万が一、集合時間に間に合わなかったときにはなんとかごまかしてもらえるよう頼み込んだ。


小塚は「草壁も桐島もいないのかよー」と不満そうにぶうぶういっていたが、おれだってなにも好き好んで高校生活の一大イベントを蹴るわけじゃない。まあ、男だらけの男子校の修学旅行なんてむさ苦しいだけだと思わなくもないが。
そう、桐島は修学旅行には不参加らしい。本人は少し困ったように笑って「おれ、電車以外の乗りものは乗れないから。みんなで楽しんできて」といっていた。どうやら体質的なものらしい。お土産買ってくるからな、というと、うんと頷いてはにかむように笑った。


ちなみに、班のメンツは出席番号順なので委員長も同じ班だ。あまり思い出したくないが、委員長とは以前ひと悶着あったわりに、今でも変わらず普通に話したりする。
そりゃあのときはびっくりしたけど、なんつーか、まあ、結果的に未遂だったわけだし。その、委員長の趣味はちょっと理解に苦しむけど、根はそんなに悪いやつじゃないと思うし。
卒業までずっと同じクラスなのに、へんに気まずくなって避けられるより、お互い水に流して普通に話せるほうがいいに決まっている。
委員長のほうはどう思ってるのかわかんねえけど。


当然、修学旅行での個人行動は御法度だ。
それでも、今回ばかりは委員長にも目を瞑ってもらわないといけない。詳しい事情までは話せないが、協力してもらう以上はできるかぎり本当のことを説明するべきだと思って簡潔に伝えた。班の全員に。


「兄貴にとられたものを取り返したい」


すぐさま「なにを?」と異口同音に訊き返されたが、そこは聞いてくれるなと情けを求めた。小塚はろくでもない想像をしたらしくニヤニヤしていたし、委員長は委員長で、ちょっと悪そうな顔になり意味深な笑みを浮かべておれを見た。
もちろん、ただで協力してくれとはいわない。口止め料込みで、なんでも奢る、という条件で速やかに交渉は成立した。
あとが怖いが、とにかく背に腹は代えられない。


  *  *  *  


そして修学旅行、当日。


旅行にはうってつけの秋晴れだが、どうやら現地では天気は下り坂らしい。おれは欠伸を噛み殺しながら窓の外に目を向けた。
クラスで一台ずつ貸し切りのバスに乗り込み、男だらけのむさ苦しい集団に手を焼く気の毒なバスガイドの声を聞きながら、おれは睡魔と闘っていた。


昨夜、もはや日課になっている兄貴からの電話で、今日は間違いなく仕事で家にはいないことをそれとなく確認済みだ。
ハロウィンの一件以来、嫌々ながらも毎晩ちゃんと電話で話し、嫌々ながらも致し方なくメールの返信もするようになったおれに、兄貴はいたく上機嫌で。下手に無視してまたとんでもない暴走をされるよりはましだ、と自分にいい聞かせて相手をしている。
それでも、普通の内容ならまだしも、どこの変質者だというような破廉恥きわまりない言葉を受け取るたびに思わず携帯を投げつけたくなる。
あの無駄に爽やかな顔でなんつー台詞を吐くんだ。親の顔が見てみたい。
いや、うん、毎日見てるけどさ。


昨夜は珍しく、卑猥な台詞は鳴りをひそめ、打って変わって星の話なんかするもんだから驚いた。なにか悪いものでも食ったのか。
兄貴の話によると、今日から数日間、なんとか流星群が見えるらしい。
だからそういう話は恋人としろよ。ていうか、まあ、恋人なんかいたら、こんなにしょっちゅう弟にかまわないよな。
一緒に見たいな、といわれてぎょっとした。いや、そっちに行くのバレてないよな? 母親には念を押したし。


電話を切ったあと、今日の計画を頭のなかで確認して、よっぽどのトラブルが発生しない限りは大丈夫だと安心したものの、なかなか寝付けなくて。
気が付いたら夜が明けはじめていたのだ。


「昨日、眠れなかったの?」


うとうとしていると隣から声をかけられてはっとした。やべ、寝そうだ。あわてて振り向くと委員長が口許を緩めておれを見ていた。そう、隣に座っているのは委員長だ。前の席には小塚がいる。


「あー、うん、ちょっと」


「着くまで寝ていたら? この騒ぎのなかで寝られるなら、だけど」


委員長の言葉どおり、バスのなかは異様な盛りあがりを見せている。教室の机から離れられるというだけでみんなハイになっている。マイクを通したガイドの声が掻き消されんばかりの大騒ぎだ。担任が怒鳴っているが焼け石に水状態で。


「なんかすげえな」


さすがに呆れるおれに、委員長も苦笑いを浮かべる。そして突然、柏手を打つようにパンパンと手を鳴らした。騒音のなかではそれほど大きな音じゃないのに、とたんに車内が静かになる。みんなの注目を浴びながら、委員長はなんでもないように淡々といった。


「みんな、今から体力使うとあとでバテるよ。今はまだ温存しておいたほうがいいんじゃない」


するとあちこちから「そうだな」「そうだよな」と賛同の声が次々にあがり、手の付けられない無法地帯と化していた車内が一気に秩序を取り戻した。前方にいる担任とバスガイドが感嘆したように委員長を見ている。


「……お見事」


「どういたしまして」





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