BLSS

□飛んで火に入る冬の馬
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ふわり、と頭を撫でられたような気がした。おれにそんなことをするのはひとりしかいない。


「……んだよ兄貴、」


もぞもぞと身じろぎをしながら抗議するとぴたりと手が止まった。
……ん?
ちょっと待て。兄貴のわけがない。一気に目が覚めた。がばっと頭をあげると、驚くほど近くに委員長の顔があった。


「え、いいんちょ?」


ふらつく頭を軽く振って周りに視線を飛ばしたおれはようやく状況を思い出した。そうだ、修学旅行だ。


「草壁、爆睡だったなー」


前の座席からこちらへ身を乗り出した小塚が笑う。その手にはスマホが握られている。小塚はニヤニヤしながら画面をこちらへ向けた。


「ほれ、見てみ」


「ちょっ」


そこには、委員長の肩にもたれかかって爆睡するおれの寝顔が映っていた。よだれを垂らしてないのが唯一の救いだ、と一瞬思ったが問題はそこじゃない。


「勝手に撮んな!」


立ちあがってシートに飛びつく。小塚のほうが素早かった。おれの手が届かないよう座席の下に逃げ込みやがった。この野郎。


「草壁、起きたのか。ちょうどいい。もうすぐ着くぞ」


いちばん前の席に座った担任が振り向いて呑気にいう。え、もう?


「まあ座りなよ」


とりなすようにうながされておれは委員長を振り返る。


「悪い、ずっと肩借りてたのか」


「べつにかまわないよ。役得だし」


「は?」


「あの言葉はちょっといただけないけど。よりによってね、お兄さんと間違われるなんて」


はぁ、といかにもわざとらしくため息をつきながら肩を竦める委員長に、おれはあわてて弁解する。


「違っ、あれは……って、え、じゃあさっきの、委員長?」


反射的に、撫でられた感覚の残る頭を押さえる。委員長は眼鏡の奥の目を細めて小さく笑う。


「草壁は寝顔も可愛いね。あんまりぐっすり寝ているから、ちょっとイタズラしたくなって」


ぎょっとするおれを見て可笑しそうに笑いながら委員長は続ける。


「する前に起きちゃったけど。残念」


残念じゃねーよ!
ひとまずほっとして席に座り直す。委員長は見た目ほど優等生じゃない。人前ではうまく猫をかぶっているだけで、実際はかなり屈折している。その片鱗を垣間見ることになったおれとしては、できればずっと猫をかぶったままでいてほしいのだが。


「せっかく同じ班になれたのに草壁がいないなんて。淋しいな」


顔を覗き込みながらそう囁かれて思わず窓際まであとずさりする。近い近い!
窓に背中をへばりつかせて顔を引きつらせるおれを面白そうに眺める委員長は、おれの反応を見て遊んでいるとしか思えない。


「オモチャにされんのは御免だ」


情けない体勢のままそういって睨むと、委員長はちょっと驚いた顔をして、すぐに愉快そうに破顔する。


「心外だな。玩具だったらとっくに弄り倒して分解しているよ」


恐ろしいことを笑顔でさらっというのだから怖い。爽やかな笑みのはずが、なぜかチェシャ猫のような不気味さを醸し出している。その表情のまま、委員長はいくぶん声をひそめてさらに恐ろしい台詞を口にした。


「お兄さんに会いに行くんだろう? 無事に戻ってこられるかな」


やっぱり面白がってるじゃねえか。しかも縁起でもないこというなよ!


  *  *  *  


「さむ」


身を切るような冷たい風に吹きつけられて、首を竦めながら思わずぼやく。雪国でもないのに地元より遥かに寒い。天気が微妙なせいなのか。
重ね着が好きじゃないおれはいつもどおりシャツと学ランしか着ていない。出がけに母親から無理やり押しつけられたマフラーだけはかろうじて巻いているが、頭のてっぺんと首から下が寒い。
この予想外の寒さと、立て続けに起きたアクシデントに時間と気力体力をごっそり奪われ、兄貴の部屋にたどり着く前に、すでにおれはぐったりしていた。


バスを降りて、昼ごはんを食べたあと、おれは計画どおりみんなと別れて兄貴の住む街へと向かった。
兄貴の部屋には何度か行ったことがある。その、兄貴がおれに手を出してくるまではの話だが。当たり前だ。兄貴の変態っぷりを知った以上、ヤツの住処にのこのこと出向くなんて、そんな無謀な真似ができるはずがない。飛んで火に入るなんとやらだ。考えただけでぞっとする。あ、鳥肌が。おまけにくしゃみまで出てきた。
最後に兄貴の部屋を訪ねた(正確にいうと拉致された)のは、確か中学に入った頃だったと思う。そう考えるとけっこう前の話だ。それでも、最寄り駅と住所さえわかればなんとかなるだろうと高を括っていたが、そこにたどり着くまでがひと苦労だった。





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