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□女王蜂
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 母親のいう西園寺が正孝でないのはたしかだ。正孝なら端末に連絡してくるはずだし、あるいは直接家まで訪ねてくる。
 もちろん、母親は昨夜の事件のことを知らない。
「なんて」
「涼介さんが帰ってきたら連絡するよう伝えてほしいって」
 ため息をつく。
「わかった」
「涼介さん」
 踵を返しかけた御園を母親が引き留める。
「顔色がよくないわ。大丈夫?」
 昨晩はほとんど寝ていないのでしかたない。
「大丈夫」
 短く答えてふたたび玄関のドアを開ける。いくらか迷ってから、母親を振り返る。
「たぶん遅くなるから食事はいらない。戸締まりして先に休んで」
 御園の台詞に、母親は少し驚いたように目を見開いて、それから表情を和らげてうなずく。
「わかったわ。気を付けてね」
「うん」
 ドアを閉める。
 いまだにぎこちなさが残るが、こんなふうに御園が母親と口を利くようになったのはここ数年のことだ。
 父親が再婚した当時、御園は反抗期真っ盛りだった。成績こそ上位を維持していたものの、素行はまったく褒められたものでなく。家にも寄りつかず、悪い連中とつるんだり、行くあてもなくふらふらとさまよい歩いていた。
 そんな御園が、まっとうな生活を取り戻して大学に進学したのは、ひとえに正孝がいたからだ。

 西園寺家を訪ねると、くだんの気の毒な家政婦が取り次いでくれた。
「御園さん、昨夜はお世話になりました」
「いえ」
「あの、差し出がましいことと思いますが、どうぞお気を付けて」
 ひと晩でずいぶんやつれたように見える。えりかに手を焼いているのだろう。
「久保田さんも、災難でしたね。今から少しうるさくなるかもしれませんが、えりかの部屋にはだれも近付かないようにしてもらえますか」
 えりかの気性をいやというほど理解している久保田という名の家政婦は、心得たというふうに何度もうなずく。
「ええ、ええ、かしこまりました。ですが、もしなにかあったときにはお呼びくださいね」
「そうします」
 二階のいちばんいい部屋がえりかに与えられている。ドアをノックしたが返事がない。まさかまた同じ真似をすることはないだろうと思いながら、返事を待たずにドアを開ける。
 天蓋つきのお姫様のようなベッドのうえにえりかはいた。
「遅いじゃない!」
 開口いちばん怒鳴りつけられる。昨日死のうとした人間とは思えない元気さだ。
 白いひらひらしたレースのネグリジェを着た、姿形だけはお姫様のようなえりかは、上品とはとてもいいがたい鬼のような形相で御園を睨んでいる。
「あたしになにかいうことはないの」
 疑問形ではない。叩きつけるような台詞に、うんざりしながらも火に油を注ぐ。
「二日酔いにならなくてなによりだ」
「おかげさまでね」
「どういたしまして」
「厭味をいったのよ!」
 それくらいはわかる。歳上とは思えない幼稚さだ。御園の弟の夏音といい勝負かもしれない。
 えりかはじっと御園を見つめて言葉を待っている。だが、御園は元来無口なほうだし、ましてやえりかを相手に話すようなことなどなにもない。だいたい、御園がなにをいったところでえりかの神経を逆撫でするだけなのは目に見えている。
 沈黙を続ける御園に痺れを切らしたえりかが切り出す。
「恋人に自殺未遂なんかされて、気分はどう?」
 恋人、といわれてもピンとこない。殺伐としたこの関係にこれほど似つかわしくない言葉もない。
 そんなことを思いながら、御園はようやくえりかの意図に気付いた。
 どうやらほんとうに、ただのあてつけであんな茶番を演じたらしい、と。ほかになにか含みがあるのかもしれないという可能性も考えていたのだが、杞憂だったようだ。
 ばかばかしい、と呆れ果てる。
 ため息をつきそうになって、すんでのところで思いとどまる。自分のしでかした行為で御園にダメージを与えられると思い込んでいたらしいえりかは、期待していた反応が得られなかったことに、ますますへそを曲げた。
「なによ、あんたのせいで死のうとしたのよ? なんでなんにもいわないのよ!」
「あんた、そこまでしておれの気を引きたいのか」
 なにやら滑稽を通り越してだんだん憐れになってきた。御園の言葉に、かっと顔を赤くしてえりかが叫ぶ。
「だれがあんたなんか!」
「だよな」
 御園がうなずくと、えりかは一瞬ぽかんとした。そろそろこの茶番劇にけりをつけようと、御園は淡々といった。
「西園寺家のお嬢様が、素行の悪いおれみたいな男にちょっかいを出すわけないよな」
「あ、あたりまえじゃない」
「じゃあ、なんでおれを脅迫してまで付き合おうとしたんだ」
 えりかは顔を赤くしたまま言葉に詰まる。
 家が近所なので子どものころから知っているが、御園の記憶にある限り、えりかは常に喧嘩腰だった。顔を合わせればいちいち突っかかってくる。いくら彼女が素直でないとはいえ、終始そんな態度でつっけんどんに接してくる相手が自分を好いていると考えるほど、御園はおめでたい男ではない。
 だが、思い当たる節(ふし)はある。
 えりかは自分がいちばんでないと気が済まない。いついかなるときも、誰よりも自分がちやほやされていないと機嫌を損ねる。
 当然、両親からも。
「あんたが、正孝には甘い顔をするからよ」
 吐き捨てるような口調でえりかはいった。



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