BLSS

□晩安宝貝
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 泡雪のように白く儚い華奢な身体が力を失ってくずおれるのを見て、フェイはようやく我に返る。
 ぐったりとシーツに身を沈めたユエは意識を失っていた。火照った顔は汗と涙と唾液で濡れてひどくなまめかしい。

「ユエ」

 その頬に手を伸ばして彼の名を呼ぶ。反応はない。
 無理もない。ユエが男に抱かれるのは今夜がはじめてだった。フェイはもちろんそれを知っていた。知っていたが、加減ができなかった。
 この数時間でいったい何度ユエを抱いただろう。
 媚薬の役目を果たす香にすっかり惑わされて怯えながらも喘ぐユエの姿を前にして、理性が脆くも崩れ落ちた。そして正気とはいえない状態のユエに強引に迫った。
 こんなつもりではなかった。大事にしたいと思っていた。それなのに。

 熱を鎮めるためにゆっくりと息を吐いてユエから身体を離す。自身は今もまだ昂ったままで、まるでフェイのほうが媚薬に冒されたかのようなありさまだ。彼は端整な面に自嘲の笑みを浮かべて、不埒な熱を冷ますために冷たい水でも浴びようかと考えたが、それよりも汚してしまったユエの身体を清めてやるのが先だと思い直す。
 今のユエに与えられた部屋は菖蒲と同等の設えで、風呂も個別に用意されている。
 あの如才ないチェンのことだから、おそらくこうなることを見越して風呂も準備してあるだろうと予想したとおり、すぐに使えるような状態になっていた。気が利きすぎるのも考えものだとフェイはわずかに眉をひそめる。なにもかもお膳立てされたようで面白くない。

 気を失ったままぴくりともしないユエの身体を支えながら、汚れた肌にゆっくりと湯をかけて洗い流していく。白い肌に散らされた赤い印が鮮やかに目に映る。色事に疎い無垢なこの身体を夢中で貪り尽くした。途中、幾度も限界を訴えるユエを解放することなく、逃れようと抗う身体を腕のなかへと引き戻して閉じ込め、さらに泣かせた。止められなかった。

 フェイはこれまでに数えきれないほどの非道な行いに手を染めてきた。そうして今の立場を手に入れた。この街で生き延びるために自分自身で選んだ道だ。後悔はしていない。
 足許に転がる屍、血に染まる自身の手を見ても、もはやなにも感じない。ただ、いつかは自分が彼らのような屍になり、同じように誰かに見下ろされる日が訪れるだろうことは覚悟している。
 いつまでも同じ場所に君臨し続けることはできない。命に永遠はないように、この世に存在するものにはいつか必ず終りがやってくる。
 儚い命。虚しいものだと思っていた。
 そんなフェイがユエにだけは執着している。こんなことは今までなかった。おそらくはじめて出会ったあのときに、すでに心をとらわれてしまったのだろう。

 薄暗い寒空の下、薄汚れた服を着て恐怖に震えていた痩せっぽちの少年。
 あの日、あの時間にフェイがあの場所を通ったのはほんの気紛れからだった。護衛を断り、ひとりで外を歩きたくなったのだ。職務に忠実な護衛たちを最終的には命令でおとなしくさせたが、それまでの押し問答でいくらか気分を害していた。そのせいか、間抜けにも財布を落としたことに気付かないなど、いつもの彼ならありえない失態だった。
 だが今思えば、すべてはあのタイミングでユエと出会うための行動だったのではないかと、そんなふうに思う。そうでなければ、フェイとユエが邂逅することはなかったはずだ。
 フェイの財布を手に、窃盗の疑いをかけられ震えていた少年。もし彼が本当に財布をくすねるつもりだったなら、一目散にあの場から逃げ出していただろう。しかしどう見ても、彼は思いがけない事態に凍りついていた。
 あとで話してわかったことだが、どうやら彼はうまく言葉を発することができないようだった。
 不自然に長く伸ばした髪で目許は覆い隠されていたが、その下から覗く輪郭や唇の形は美しく、伝い落ちる涙に目を奪われた。
 きれいなだけの人間ならこれまでにいくらでも見てきた。だが心が動くことは一度もなかった。人に触れたいと思ったのははじめてだった。
 気付いたときには彼の頬に口づけていた。姿形も心根もきれいな、美しい少年。
 
 ユエという名前を知り、彼にぴったりの名だとフェイは思った。この国の言葉でユエは月を表す。控えめで、素直な心と凛とした美しさを持つユエにはこれ以上ない似合いの名前だ。
 今、フェイの腕のなかで眠るユエは出会った頃とは違い、本来の姿に戻っている。輝くような淡い金色の柔らかな髪、あどけなさを残す端整な顔立ち。今は閉じられている瞼を開けば、宝石のような翠玉の瞳がフェイを見つめる。
 もし菖蒲に守られていなければ、とうの昔にハイエナのような輩に奪われ、むしられ、ボロボロになるまで食いつくされて汚されていたに違いない。そう考えただけでぞっとすると同時に、これからはなにがあっても自分がユエを守ってやらなくてはならないと、強く心に誓う。
 数多くの命を奪ってきたフェイが、たったひとりの人間を守りたいと願う、この矛盾。
 それでも、ユエに出会う前の自分にはもう戻れない。



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