子羊は夜の底で夢を見る

□第九夜
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 きっとひどく消耗したのだろう。車のなかで、唯はすぐに眠ってしまった。アパートに着いても彼女は目を覚まさなかった。無理に起こすのもしのびない。唯の部屋までつれていくのは難しくないが、鍵がないのでなかには入れない。
 唯のバッグ。
 木島と一緒にいたとき、唯はバッグを持っていた。それはどこに置いてあるのだろう。あの場所にあったのか、それとも木島の車のなかに置いたままなのか。回収すべきだった。
 木島の近辺に唯と関わった痕跡を残すのは危険だ。
 しばらく考えたあと、携帯を取り出して、新しく登録したばかりの番号に電話をかける。6コール目で相手が出た。
「どうした」
「唯のバッグを忘れた」
 少しのまのあと、水沢薫はあっさりといった。
「問題ない。回収した。唯はどうしている」
 思わず安堵のため息をついて、明日香は隣の唯を見る。
「寝てる」
「そうか。悪さをするなよ。30分ほどでそっちに着く」
「わかった」
 通話を終えて、明日香はほうっと息を吐く。こんなときでも、水沢薫は落ち着いていた。
 あのあと、彼が木島をどうしたのか明日香は知らない。それは知らなくていい、と彼がいったからだ。明日香としては、木島がもう二度と唯のまえに現れなければそれでいい。その過程には興味がない。
 隣で、唯は静かに眠っている。彼女の身体にブランケットをかけ直して、そっと頬を撫でる。
 木島が同じ仕草をしたことを明日香は知らない。あの場所は暗くて、ふたりの姿までは見えなかったのだ。
 少し癖のある柔らかな髪。眠るととたんに幼い表情になる。そのあどけない寝顔を見るのが明日香は好きだ。とても愛しいと思う。
 なぜ、これほどまでに唯に執着しているのか自分でもわからない。ただ友人として愛しく思うのか、それとも恋愛感情をともなっているのか。
 たしかなのは、明日香にとって唯は文字どおり、とくべつな存在だということ。ただ彼女のそばにいたい。それだけだ。
 そのためには木島が邪魔だったから彼を排除した。それが正しいかどうかは問題ではない。少なくとも明日香にとっては。
 もし木島が唯の周りをうろつかなければ、明日香は二度と彼に接近することはなかった。たとえ彼が人殺しだろうと犯罪をおかしていようと明日香には関係がない。
 明日香が過去の木島の犯行を仄めかしたとき、彼は「見逃す」という表現を用いたが、明日香は見逃したわけではなく、たんに関わるつもりがなかったのだ。



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