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□ヴァンパイア
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 喉が渇く。
 もう何日も水を飲んでいないみたいな渇きを覚えて、あたしは目を覚ました。
 ここは、どこ?
 見覚えのない高い天井。複雑な模様を描いたその天井からは、見たことのない豪華なシャンデリアが吊されている。
 あたしはそっと起き上がる。
 ひとりで寝るにはもったいないような大きなベッドにあたしはいた。着ている服も、まるで外国の女の子が身につけているような、ひらひらのレースやリボンが付いた肌触りのよいもので。
 あれ、と思う。
 そういうふうに思うってことは、ふだんのあたしは、こんな格好はしていないってことだ。でも、それ以上考えようとすると頭の奥のほうがズキンと鈍く痛む。
 それに、なんだか頭のなかに霞みがかかったように、意識がぼんやりして集中できない。不安に駆られながら、あたしは自分の手を見下ろす。それが自分のものだという感じがしない。
 あたしは、だれ?
 ベッドから降りてドアへと駆け寄る。けれど、途中で目眩がして、あたしはふかふかした絨毯に座り込んだ。
 カチャリ、と音がする。
 絨毯のうえにうずくまったまま顔をあげる。ドアが開いた。
 黒い、人。
 そう思った。
 現れたのは、艶やかな黒髪を肩に流して、全身を黒い服に包んだ男のひと。それとは対照的な、白皙の美貌があたしを捉えた。
「あ」
 どうしてだかわからないけれど、こわい、と思った。あたしはじわじわとあとずさる。
 そのひとはあたしを見つめたまま、後ろ手にドアを閉めて鍵をかける。ガチャン、とその音が部屋に響く。
「どうしてそんなところにいるの。まだ具合が良くないのだから、寝ていないと駄目だろう?」
 男のひとはそういうとあたしに近付いてくる。それ以上逃げられなくて、あたしはそのひとの腕に抱きあげられた。ふわ、となにかの匂いがする。
 それはとてもいい匂いで、もっとそれを嗅ぎたくて、あたしは彼に顔を近付けた。
「どうしたの、リカ?」
 リカ、という言葉には聞き覚えがあった。
「あたしの、名前?」
「そうだよ。自分の名前を忘れたの?」
 くすりと微かに笑ってあたしの顔を覗き込む。ガラス玉みたいな濁りのない瞳には、びっくりしたようなあたしの顔が映っている。
 そうだ、あたしの名前はリカ。
 そしてこのひとは。
「おにいさま?」
「そうだよ。どうしたんだい、今日のリカは少しおかしいね」
 そのひと、あたしのおにいさまは、あたしをベッドに運ぶとシーツに寝かせて丁寧に髪を撫で付ける。
 どうして、おにいさまのことをこわいなんて思ったんだろう。自分の感情がよく理解できないまま、あたしはおとなしく目を閉じる。
「いい子だ、リカ」
 すぐそばでおにいさまがささやく。髪を撫でていた指があたしの唇をなぞり、首筋に落ちる。びく、とあたしは目を開いた。
「どうしたんだい?」
 おにいさまはやさしい顔で笑っている。あたしはてのひらで喉を押さえる。おにいさまの指先が触れた瞬間、首筋が急に熱を孕んだように熱くなった。どうしてか、心臓がどきどきする。嬉しいときのどきどきじゃない。
「痛いの?」
 おにいさまがあたしの手を掴んで首筋から外す。びっくりするほど冷たい感触に、あたしは目を見開く。
「おにいさま、すごく冷たい」
「リカがあたためてくれるかい」
 おにいさまはあたしの指に唇を寄せて、そのまま指先を口に含む。指を這う舌の感触がくすぐったくてあたしは手を引いた。けれど、おにいさまは離してくれない。
「おにいさま?」
 唇を離すと、濡れたあたしの指をおにいさまの首筋に触れさせる。
 トクン、トクン……。
 脈を打つそのリズムを指先に感じて、あたしは息を呑む。
 欲しい。
 沸きあがってくる得体の知れない衝動を振り払おうと、あたしは首を振る。けれど。
「我慢しなくていい。欲しいだろう?」
 ささやくおにいさまの声はとても甘くて。抱きあげられて、おにいさまの首筋に顔を埋める。
 ああ、いい匂い。
 さっき嗅いだのは、おにいさまの血の匂い。
 欲しい。
 喉が渇くの。とても。
「やりかたはわかるね。さあ」
 背中を抱くおにいさまの腕に力がこもる。あたしはなにも考えられなくなって、本能のまま、おにいさまの襟元を開くと、白い喉に牙を立てた。



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