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□三秒前
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 田舎の祖父から畑で採れた野菜と大量の桃の缶詰が送られてきた。
 毎度のことだけど、それはけっこうな量で。いくら缶詰で長持ちするといっても、前回送られてきた缶詰もまだ残っているわけで。
 結局、缶詰は幾つか職場へ持って行くことにした。
「あら、桃缶じゃない。そんなにたくさんどうしたの」
 先輩の小沢さんが尋ねてきたので事情を説明する。
 姐御肌の小沢さんは同性のわたしから見てもものすごい美人で、それなのに近付き難い雰囲気などはまったくなく、気さくで面倒見のいい、すてきな先輩だ。
 わたしの話を聞き終えるとにっこりと笑って缶詰をひとつ手に取った。
「いいお祖父さんじゃない、うらやましい。子どものころよく食べたわ。懐かしい。ほんとうにいただいていいの?」
「はい。まだまだたくさんあるので、よかったら何個でもどうぞ」
「嬉しい。ありがとう。さっそくお昼にいただくわ」
 喜んでもらえてわたしも嬉しい。缶詰を抱えていそいそと給湯室へ向かう。
 するとそこには先客があった。
「あっ、おはようございます」
 両手に缶詰を抱えてぺこりと頭を下げるわたしを見て、若月さんは訝しげな顔のまま「おはようございます」と挨拶を返してくれた。
「それはなにごとですか」
 そう尋ねられて、さっき小沢さんにしたように簡単にことの成り行きを説明する。若月さんは納得したように小さくうなずくと、無言でわたしの腕から缶詰を取りあげて棚にのせてくれた。
「あ、ありがとうございます」
 かなり重たかったので助かった。若月さんは無表情のまま缶詰を眺めていたけれど、眼鏡越しにわたしを見ると「ひとついただいてもいいですか」とぶっきらぼうな口調で許可を求めた。
「もちろんです。ひとつといわず、いくらでもどうぞ」
「いや、とりあえずひとつでいいです」
 そういうと彼は言葉どおり缶詰をひとつ手にして、引き出しから缶切りを取り出した。旧型の缶詰なので缶切りがないと開けられないのだ。
「あの、今から召しあがるんですか」
 驚いてわたしは思わずそういってしまった。若月さんは手を止めてわたしを見た。
「いけませんか」
「い、いえっ、とんでもないです。すみません。あ、わたしが開けます」
 缶詰を受け取ろうと手を伸ばすと「自分でやります」と断られた。
 立ち去るタイミングを掴み損ねて、わたしはぼうっとその場に立ち尽くしていた。
 若月さんは長い指で器用に缶切りをあやつり封を開けると、立ったまま缶にフォークを刺して切り分けた桃を口に運ぶ。スーツ姿で桃の缶詰を食べる男のひとを見るのははじめてで、ついまじまじと見つめてしまった。わたしの視線に気付くと彼は缶詰を差し出した。
「食べますか」
「えっ、いえ、けっこうです。桃、お好きなんですか」
「わりと好きです」
 なんだか不思議な人だなと思った。


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