NL
□甘いのがお好き?
1ページ/11ページ
甘いものは嫌いじゃない。
ましてや恋人が――桃が、自分のためにわざわざ手作りしてくれたものならば。それを思うだけで、若月は頬が緩むのを止められなかった。
チョコレートの甘い匂いが漂う部屋で。
玄関先から移動したあと、花束を抱えておろおろする桃を背後から抱きしめる。とたんに、腕のなかで身体を強張らせる彼女の耳許に若月はささやいた。
「あなたが欲しい。いますぐに」
びくんと震える桃の耳朶が、みるみるうちに赤く染まる。うつむいた頬も同じように赤い。彼女の腕に抱えられた薔薇の花のように。
「よ、用意、してきます」
か細い声でつぶやくと、桃はうつむいたまま、ぎこちない足取りで奥へと向かう。
「なにかお手伝いできることがありますか」
若月がそう尋ねると、立ち止まり、ふるふるとかぶりを振る。
「だ、大丈夫、です」
ぎくしゃくとした動きで寝室へ向かう後ろ姿を見守る。
たとえわずかなあいだでさえ桃を離したくはなかったが、恋人といえども、女性の寝室に無遠慮に踏み込むような真似はできない。
若月はおとなしく待つことにした。
こうして桃の部屋にあがるのは、ずいぶんひさしぶりのことだった。彼女が風邪を引いて、その見舞いに訪れたとき以来だ。
いつも、アパートの前まで桃を送るのが日課だが、ドアの内側に足を踏み入れることはほとんどない。「よかったらお茶でも」と誘われるたび、丁重に断り、後ろ髪を引かれる思いで帰途につく。
他人の目が届かない場所でふたりきりになって、理性を保つ自信がなかった。許されるなら、毎日でも桃に触れたい。その柔らかな髪に口づけて、可愛らしい唇をついばみ、華奢な身体を抱きしめて、そして。
「――――、」
意識的に息を吐いて熱を逃がす。
まったくどうかしていると思う。桃がそばにいるだけで、若月の意識はすべて彼女に引き寄せられてしまう。引力のように、抗えないほどの力で。
傍らで、無邪気に笑う桃を見つめながら、若月がいつもなにを思っているのか。それを知ったら彼女は目を見開いて、怯えた顔をするに違いない。
恋情と呼ぶにはあまりに生々しく、欲情という言葉ではとても足りない。これが愛だというのなら、この愛は桃をおびやかす危険性を孕んでいる。彼女の心を、身体を、求める気持ちが大きすぎて、ときに制御しきれなくなる。
あの夜のように。
すっと、寝室を隔てる襖が開いて桃が姿を見せた。
自らの内側に沈んでいた若月は、はっと我にかえる。桃は襖に手をかけてうつむいたたまま、小さな声で、用意が調ったことを告げた。
「お待たせ、しました」
その言葉に吸い寄せられるように、若月はゆっくりと、だがまっすぐに近づいていく。反射的にだろう、びくんと身を退きかけた桃の肩を抱き寄せる。腕のなかで桃が息を呑む気配がした。柔らかな髪に口づける。甘い匂い。くらくらする。
彼女を抱きしめたまま、室内に目を向ける。四畳半ほどの和室の壁際に布団が敷かれている。おそらく、夜以外にはきちんと畳まれているのだろう。
休日の午後。ぴたりと閉じられたカーテンの外側はまだ明るく、対照的に薄暗い部屋のなかは、なにやら淫靡な雰囲気すらしてくる。
これを、桃はいったいどんな気持ちで用意したのか。そう考えると愛しさが込みあげてきて、おとなしく抱かれている桃のおとがいをそっと持ちあげ、唇を重ねた。