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□青天の、
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お肉を扱う業者の男の人だ。目が合うと軽く会釈をされたので同じく頭を下げる。仕込みをしていた店長が手を止めて相手をする。わたしは視線を手許に戻してキャベツを剥く作業を再開した。
しばらくして店長に呼ばれた。
「桜井さん、これ食べて。試食用だって」
見ると、いつのまに調理したのか、白い大皿に何種類かのソーセージが盛りつけられていた。ご丁寧に、レモンとレタス、そしてケチャップとマヨネーズ、マスタードまで用意されている。店長はこういう細かいところまでこだわる性格で手抜きは一切ない。料理人ではないと聞いたけれど、ときどき賄いで出される店長お手製の料理は、お客さんに提供してもまったく問題ないくらいにおいしいし器まで凝っていて、目でも舌でも楽しめる。
「わ、うまそー」
厨房のバイトの男の子がすかさず手を伸ばして手掴みでソーセージにかじりつく。パリッと小気味よい音がしていかにもおいしそうだ。
「うまー!」
無邪気に叫んで二本めに取りかかる。この調子だとあっというまになくなりそうだ。ほかにも横から手が伸びてくる。わたしも添えられていたフォークを手に取り、目についたソーセージに突き刺して、かじる。もぐもぐ咀嚼しながら、これはバジルかなと考えていると、ソーセージを持参した男の人と視線がぶつかる。
にっこりと微笑まれた。
え、とたじろぐ。
固まったわたしの目の前で、バイトの男の子が次から次へとソーセージを平らげていく。気持ちいいくらいの食べっぷりだ。見ていて自然に頬が緩む。
あれ。もしかして、わたしもこんな感じで微笑ましく思われている?
ちらっとそちらを窺うと、彼はまだわたしを見ていた。笑っている。なんなの。食べにくいよ。
「すごくおいしそうに食べますよね」
ふいにそんなふうにいわれて「へ?」と間抜けな声が出た。
「前から思っていたんですけど。味、どうですか」
「え、あ、おいしいです」
「それはよかった」
なんだかものすごくナチュラルに会話をしているけれど、まともに口をきいたのははじめてで。戸惑っているうちに、お皿はすっかり空になっていた。
それ以来、なんだかんだと試食品を味見させてもらう機会が増えて。食べるのは好きだし、試食だけでけっこうお腹がいっぱいになるので、帰りにコンビニに寄ってお菓子を買う回数も減って助かっているのだけど。
毎回、食べる様子をじっと観察されているような気がしてなんだか落ち着かない。
そんなある日。
いつもは開店前に出入りするその人が、夜の営業時間にふらりと現れた。
三月は学校の卒業式や会社などの歓送迎会のシーズンで、団体客の予約や、ふりのお客さんが大人数で来店するので油断できない。
その夜も、平日のわりにかなり混み合っていた。ただ、それを見越してシフトの人員も増やしてあるので、心強い。
「こんばんは」
「こんばんは。珍しいですね、こんな時間に」
手を動かしながら思わずそう声をかけると、彼は少し困ったような顔をして笑う。
「実は、食事しようと思って来たんですけど……混んでますね」
「あら」
たとえ業者だろうと、お店を利用するとなればお客さんだ。逃がす手はない。商魂たくましいといわれそうだが、売上になるならありがたいに決まっている。
「おひとりですか?」
「はい」
「ちょっと騒がしくて落ち着かないかもしれませんが、お席は用意できますよ」
「あ、じゃあ、お願いします」
「はい。どうぞ」
空いていた隅の席に案内してからカウンターに向かう。水とおしぼりを用意して、厨房内の人に、彼が食事に来たことを伝える。もてなし好きの店長がいるので、彼がなにを注文してもデラックスバージョンで提供されるに違いない。店長は人を驚かせたり喜ばせるのを至上の喜びとしている。それはすごいと思うのだけど、イタズラ好きなのが玉に瑕で。もういいおとななのに、平気で子供みたいなことをするのでときどき困る。
果たして、彼には問答無用で山盛りのお肉が提供された。ゆうに三人前はある。それを持っていったときの彼の顔ときたら。悪いと思いながらもついつい笑ってしまった。
でも、大したもので、彼はそれをすべて胃に収めきった。ありがた迷惑だろうに、得意先の店長からサービスで出されたものを残すわけにはいかないという思いだけで完食したのだろう。見上げた根性だ。あっぱれ。