BL/ML

□Calling
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「じゃあ高梨くん、頼むね」



そういって店長はアイスコーヒーをのせたトレイを高梨に差し出す。ちらりとその顔を見遣ると、店長は有無をいわさぬ笑顔で彼を見ている。
はあ、と溜め息のような返事をして高梨はトレイを受け取る。



「…行ってきます」



「ゆっくりしておいで。店のことは気にしなくていいから」



…いやいや、ただの配達だから。ゆっくりも何もないだろ。
胸の内でつぶやきながら裏口へ向かい、店を出る。そのとたん、むっとした熱気が肌にまとわりつき、高梨は顔をしかめる。
夏は苦手だ。
暴力的なまでのこの暑さは、ただでさえ無気力な高梨のなけなしの気力さえもあっさりと奪い去る。息をするのも、生きていることすら億劫になる。
店を出てからまだ一分も経っていないのに、すでに彼はげんなりとしていた。
ビルのエレベーターに乗り込み、最上階のボタンを押す。トレイの上のグラスは暑さに耐えかねて汗をかいていた。



高梨は、このビルの一階にある喫茶店(カフェではない。文字通り喫茶店だ)でアルバイトをしている。
いつからか、同じビル内に住むある男のもとへ、ほぼ毎日珈琲を届けるのが彼の仕事になっていた。夏はアイスコーヒー、それ以外の季節はホットで。
あの男はなぜ自分で店に来ないのだろう。真下なのだから大した手間でもないだろうに、と訝しく思いながらも、店長に「頼むよ」といわれると雇われている身であるから文句もいえず、こうしてほとんど毎日のように高梨はエレベーターで往復を繰り返していた。



ただ、今日はいつもと違うことがひとつだけあった。
いつもは珈琲を一杯だけなのに、今日はアイスコーヒーがふたつ、トレイにのせられている。
店長から受け取った時に、あれ、と思ったけれど、わざわざ尋ねるのも面倒なのでそのまま気にしないことにしたのだが。
きっと来客でもあるのだろう。



配達先のドアの前に立ち、インターホンを押す。間もなくしてドアが開く。この部屋の主はどうやら内側から鍵をかけていないらしく、無用心だなと前々から思っていた。
まあ、高梨には関係のないことなので、いちいち口にしたりはしないが。



「こんにちは。珈琲をお持ちしました」



毎度のことなので見ればわかるだろうが、一応そう口上を述べて高梨はトレイを差し出す。
いつもなら相手は「どうも」とぶっきらぼうにいって珈琲を受け取り、前日分のグラスを渡してくる…のだが。



「入って」



男は身を退いてそう促す。
高梨は思わず「…は?」と間の抜けた声を漏らした。そしてはじめて、男の顔をまじまじと凝視する。
普段からあまり他人に関心を持たない性格の高梨は、配達先のこの男のことも、ちょっと変わった奴だと思うだけで、これまでさして気に留めたことはなかった。
部屋のなかにも拘わらず、いつ訪ねてきてもこの男はサングラスをかけている。その下の顔は透けるように白く、長めの髪は染めているのか金色に近い淡い茶色で、全体的に色素が薄い。身体つきも華奢で、高梨と同じくらいの背丈のわりに、ひと回りも小さいような印象を受けた。



玄関先で立ち尽くす高梨に、怪訝そうな声で男が尋ねた。



「店長から聞いていないのか?」





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