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□楽園
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もうどのくらいの時間、こうして車に揺られているだろう。
揺られる、といっても、奏(かなで)が乗せられたこの車は、今までに見たことがないような立派なもので、決して平坦ではない山道でもほとんど振動を感じない。


着慣れない上等な衣服を着せられ、有無をいわさずシートに押し込まれた。奏に拒否権などはなく、行き先を尋ねることさえできない。かろうじて持っていくことを許可された、ごく身の回りの荷物を詰め込んだ小さな鞄を膝に抱え、黙って窓の外の景色を眺めるしかなかった。


車はどんどん人気のない山道を進んでいく。鬱蒼と広がる森のあいだを抜けて。緑が濃い。厳しい冬を越えた大地が強張りを解き、そこに根を張る植物がいきいきと背伸びをしているように見える。


奏は小さく笑みを零す。
よかった。どこへ連れていかれるのかはわからないけど、緑が多いところならいいな。
のんびりとそう思っていると、急に視界が開けて、重厚なつくりの門が迫ってきた。そのあまりの大きさに、奏はぽかんと口を開ける。


お城?


そう、思った。


門をくぐり抜けてさらに進んでいくと、白亜の建物がどっしりとかまえていた。奏が暮らしていたところでは見たこともないような規模と豪華さに度肝を抜かれて、しばし意識を飛ばしていたらしい。


ふと気付いたときには、奏は車から降りていて、そのお城の入口に立っていた。なかから誰かが近付いてくるような気配がする。
扉を開けて姿を現した人物に、奏の目は釘付けになった。
すらりとした長身に上質な衣服を纏い、奏を見下ろしてにっこりと微笑む少年。


きれいな人。


それが、彼、神楽坂葵に対する第一印象だった。


「よく来たね。遠くて疲れただろう」


そういった声は落ち着いたテノールで。とても心地好い音だった。


「奏?」


名前を呼ばれてびっくりする。


「あ、あの……」


『とにかく失礼のないように』


車に乗せられるとき、そういわれたことを思い出す。誰に、とは教えられなかった。けれど、他には何もいわれなかったのに、それだけははっきりと告げられた。大事なことに違いない。


「す、すみません、ぼく……」


失敗してしまった。そのことで頭のなかが真っ白になって、言葉が出てこない。お仕置きをされる。
恐怖で真っ青になる奏に歩み寄り、少年は優しく囁いた。


「落ち着いて。大丈夫だよ」


そうして、次の瞬間、奏は少年に抱き寄せられていた。
突然のできごとに驚いて、奏はびくりと身を強張らせる。そんな奏を安心させるように、少年は片手で彼を抱いたまま、もう一方の手でゆっくりと頭を撫でる。


優しい仕草。
彼は怒ってはいない。
それが伝わってきて、奏はほっと息を吐く。撫でられるのは気持ちがいい。緊張を解いて、無意識のうちに少年の肩口に額をすりつけていた。
頭の上で、小さく笑う気配がした。


「可愛い。人懐こい猫みたいだ」


「あ、」


初対面の人になんてことをしてしまったのだろう。そう思って、奏は慌てて少年から離れる。


「ごめん、なさい」


「どうして謝るの」


「失礼なこと、しました」


「ちっとも失礼じゃないよ。僕は嬉しい」


きれいな笑みを向けられて、奏は顔が赤くなるのがわかった。柔らかな表情を浮かべたまま、少年はいう。


「ああ、ごめん、まだ名乗っていなかったね。僕は神楽坂葵。今日から君と同室になるんだ。よろしくね」





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