BL/ML

□花の名前
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手許で鈍い金属音がして施錠が解かれる。麻宮はトレイを片手にドアを開けた。


窓のない部屋。
唯一外界と通じるこのドアには常に鍵がかけられていて、内側に閉じ込められた人間が自力で脱出するすべはない。
もっとも、この部屋の住人である梓には逃げ出す意思さえもう存在しないようだった。
今も、梓はベッドに仰向けになりぼんやりと宙を眺めている。麻宮が入ってきたことに気付いているのかいないのか、まったく反応を示さない。
麻宮はベッドに近付いていくと、最近になって持ち込んだテーブルにトレイを置き、椅子を引き寄せて腰かけた。


「梓様、食事をしましょうね」


そういって、梓の身体を起こすために彼の背中とシーツのあいだに腕を差し入れる。そのとたん、放心していた梓はびくりと身体を震わせ、焦点を結んだ怯えた目を麻宮に向ける。
思わず手を離しかけたが、無表情を保って淡々と動作を続ける。
自力で身体を支えられない梓のためにクッションを並べて背もたれをつくり、青白い顔でがくがくと震える彼の口許にスプーンを運ぶ。梓は小さな唇を薄く開いて差し出されたスープを受け入れる。機械のように。


梓は麻宮には逆らわない。それがどんなことでも。そのように麻宮が教え込んだ。今の梓は、麻宮が靴を舐めろといえば舐めるだろうし、身体を開けと命じればそれに従う。
梓は自らの心を殺して麻宮のいいなりになる、ただの人形のようだった。
麻宮がそうさせた。
梓の心を壊した。


ゆっくりと時間をかけて食事を終えた梓をふたたび横たえる。
もともと食の細い子供だった梓は、まだ栄養が必要な年頃であるはずの現在も変わらず、いや、むしろ今のほうが、摂取できる量が減ってきている。
環境を考えれば無理もない。
監禁されたうえ男に身体を弄ばれ、心も身体も踏みにじられて。いくら成長期といえどもそんな状態で食欲など湧くはずがない。
そうさせているのは麻宮だった。


いっそ死んでしまったほうが楽だろう。
麻宮は一度、梓を殺した。


血も涙もない冷酷無慈悲な父親と、精神を病んだ母親。そんな両親から疎まれ続けた孤独であわれな子供。彼を手懐けるのはたやすいことだった。
優しい言葉をかけてやればいい。胸に渦巻く憎しみを作り笑いでひたすら押し隠し、猫撫で声で囁きかければそれでよかった。
あたりまえに人として扱われ愛されることを知らなかった幼い梓は、拍子抜けするほどあっさりと麻宮に懐いた。
見下ろす先にある無防備な細い首に手を伸ばし、縊り殺してやろうといったい幾度思ったことか。
そうしなかったのは理性ではない。
もっとも残酷なやりかたであの男が大事にしているものを奪ってやる。傲慢なあの男が我を忘れて怒り狂い、うちひしがれるような、そんな方法で復讐してやる。その思いが麻宮をかろうじて押し留めていた。
それなのに。
あろうことか、あの男は麻宮が手を下すまもなく死んでしまった。ほうぼうで怨みを買っていた報いだと嘲笑う気など起こらない。先に獲物を掻っさらわれたことへのやり場のない憤り、そして絶望。
行き場をなくした麻宮の怨嗟の矛先は残された梓に向かった。


父親の死後、保護といえば聞こえはいいが実際は遺産目的の叔父である神代智明のもとに引き取られた梓。
その梓を金で買い、この家に監禁して凌辱した。
あのときの梓の目。
混乱と恐怖と、わずかな望みを抱いた縋るような眼差し。それらすべてを塗り潰す、絶望。
復讐のために麻宮が梓に取り入ったのだと知った瞬間、梓の心は壊れた。
すべては偽りの優しさだったと、梓が拠り所にしていた一縷の望みを打ち砕いたあのとき、麻宮は梓を殺したのだ。
確かな意思を持って。


だが、まだ死なれては困る。簡単に死なせるつもりはない。死ぬよりもつらい目に遭わせてやる。
血を吐くような苦しみを味わえばいい。
麻宮が、彼の父親がそうだったように。





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