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□心の在処
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一週間前に、クリスマスだとかでケーキを食べた。正確にいえば、食べさせられた。


今夜は蕎麦が用意されていた。
クリスマスから指折り数えて一週間。つまり、今日は大みそかというわけだ。


茹であげたふたりぶんの蕎麦をどんぶり鉢に移してつゆをかけ、その上にかき揚げととろろ昆布をのせて、薄切りにしたかまぼこと刻みねぎを散らす無駄のない男の動きを、碓氷(うすい)はぼんやりと眺めていた。
だしとしょうゆの匂いが鼻孔をくすぐる。
手際よく蕎麦を盛った男がふたつのどんぶりをトレイにのせてテーブルへ運んでくる。


「お待たせ、彼方」


男――五十嵐透は機嫌の良さそうな笑みを浮かべて、碓氷の前と、テーブルを挟んだ向かいの自分の席に蕎麦を置く。
「すぐにできあがるから座って待っていて」と呼ばれた碓氷は、いわれたとおりキッチンにやってきておとなしく椅子に座っていた。


碓氷が五十嵐透に拉致されてこの家に監禁されたのは、夏の終わり頃だった。今は12月。
クリスマスの晩、あれからまだ4ヶ月しか経っていないのだと知らされて、碓氷は愕然とした。


あの夜、アパートに忍び込んで待ち伏せていた五十嵐にとらわれてからというもの、とんでもない災厄が碓氷の身に降りかかり、彼の生活は――人生は捻じ曲げられ、それまでとは一変した。
身体を拘束され、すべての自由を奪われ力ずくで犯されて、碓氷の人格は踏みにじられた。
あの夜のことは思い出したくもない。


「彼方、口に合わなかった?」


「……え?」


もくもくと蕎麦をすすりながら、碓氷は眉間に皺を寄せていたらしい。それを五十嵐に指摘されて、碓氷は小さく首を振った。


「いや……、うまいよ」


だしがよくきいていて、薄めのつゆが碓氷の好みだった。
碓氷の言葉に、五十嵐は嬉しそうに口許を緩める。


「よかった。明日は雑煮を作るからね。すまし仕立てでいいかな。彼方は味噌よりしょうゆ味のほうが好きだろう?」


あたりまえのようにいわれて思わず箸が止まる。
クリスマスケーキ、年越し蕎麦に雑煮。
たいがいの日本人には馴染みのあるそれらを、五十嵐もまた当然のように用意している。おそらくは碓氷のために。


見知らぬ男に監禁されて、当初よりはかなり待遇が改善されたとはいえ、こうして五十嵐とともに生活することは碓氷にとってまぎれもなく非日常だった。
それでも、否応なしに順応していく自分を感じて複雑な思いを抱いている。


五十嵐はおかしい。狂っている。
一方的に碓氷に好意を寄せて、それを成就するために碓氷を拉致して散々犯したあげく、これからは一緒に暮らすのだといってこの家に監禁した。
あきらかな犯罪行為だ。
それなのに、五十嵐は罪の意識などまるでなく、それどころか自分の暴挙を棚にあげて、五十嵐の気持ちに気付かない碓氷が悪いのだとお門違いな文句をいって碓氷を責める始末。
手のほどこしようがない。


そんなとんでもない男なのに、碓氷の身のまわりの世話をする五十嵐はなんだか嬉しそうで、碓氷が抵抗して手を煩わせなければ、身体に触れる仕草はとても優しい。
手間暇かけて碓氷好みの料理を作り、丁寧に身体のケアをして、夜はあたりまえのように碓氷を抱いて寝る。
性行為さえ強いられなければ、なんだか大事にされているような錯覚を抱きそうになる。そのたびに碓氷は混乱する。


冗談じゃない、勘弁してくれ。自分の意思を無視して拘束されている時点ですでにこれは暴力だ。
碓氷はペットではない。五十嵐のやりかたはとうていまともではない。
そう思うのに、五十嵐はどんどん碓氷のなかに侵食してきて碓氷をおかしくしてしまう。


「彼方?」


不意に頬に触れられて碓氷はびくっと身を竦める。五十嵐が手を伸ばして碓氷の顔に触れていた。
心のなかを見透かすような眼差しから目を逸らしてうつむく。五十嵐の機嫌を損ねるのは危険だ。いったん境を越えてしまうと手に負えない。五十嵐が狂っているのはわかりきっているが、そのさまを目のあたりにするのは恐ろしい。
碓氷は必死で頭を働かせた。五十嵐は何かを尋ねていた。手許の蕎麦を見て碓氷は思い出す。そうだ、雑煮。


「……雑煮は……食べたことがない」





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