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□死がふたりを分かつまで
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昼休み、秋月はたいてい、職場近くの公園で休んでいる。
ジョギングをしたり犬の散歩をしたり、小さな子供を遊ばせたりと、さまざまな年代の人間がそれぞれ思い思いに過ごすその公園の片隅で、ベンチに腰かけて本を読んだり、ぼんやりと景色を眺めている姿を何度か見かけていた。
けれど、声をかけたことはなかった。
御陵から逃れるために避難しているのだろうと思ったし、ただでさえマイナスの感情を抱かれているのだ。四六時中まとわりついては、それこそ蛇蝎のごとく嫌われてしまう。そう思って、御陵なりに自重していた。
案の定、秋月はそこにいた。
その傍らには、コンビニで購入したのだろう珈琲と、カロリーメイトらしき黄色い箱があった。
意を決して、御陵はそちらへ近付いていく。気配に気付いたのか、秋月が視線を巡らせる。御陵の姿を認めるとわずかに驚いたように目を瞠り、すぐにいつもの恐ろしい眼差しで彼を睨みつけてくる。
「食事、ちゃんと召し上がっていないんですか」
我ながら、やけに悲しげな声が出た。それはべつに、御陵が作った弁当を食べてくれないことに対する悲しみではなく、秋月自身が、自分の身体に頓着していないように感じられて、それがなんだか悲しかった。
秋月はふいっと目を逸らして無言を貫く。
「差し出がましいことをいっているのはわかっています。でも、心配なんです」
ベンチに座ったままの秋月の前に立ち、うつむき加減に目を背ける彼のつむじをじっと見下ろす。
とうとう、ボーダーラインを踏み越えてしまった。御陵の行為は、明らかに秋月の領域を侵している。
秋月は一瞬、立ちあがろうとして、思い直したようにベンチに浅く腰をおろした。そうしてうつむいたまま、低い声で御陵を問い詰める。
「なぜ、君は僕にかまうんだ。放っておいてくれといっただろう。迷惑だ」
迷惑だ、といわれるのはこれがはじめてではない。だが、今までのどの言葉より御陵の胸に深く突き刺さった。
まるで本当に鋭い矢が心臓を貫いたかのような痛みに襲われ、とっさに左胸を押さえて彼は後ずさる。
息が、苦しい。
喉が引き攣るように収縮し、ひゅう、と妙な音が鳴る。
それが聞こえたのか、険しい顔をしたまま秋月が視線をあげる。その目が驚愕に見開かれるのが見えたが、なぜかそれがぼやけてにじんでしまう。
「…………っ、」
両目から、音もなくはらはらとこぼれ落ちていくものがある。それに気付いて、御陵はおそるおそる顔に触れる。生温い水滴が指を濡らし、それは次から次へと顎へと伝い、地面へと落下していく。
「…………、なんで、泣く」
呆然としたようにつぶやく微かな声が聞こえた。御陵はごしごしと顔をこすって涙を拭うと、掠れた声で告げた。
「好き、です。おれは秋月さんが好きです。だから、秋月さんの身体が心配で……。嫌われているのはわかっています。それでも、おれは、秋月さんが好きです」
大の男が、白昼堂々、人目を憚らず泣きながら意中の相手に想いを告げるさまは、否応なしに注目を集める。公園の片隅でひっそりと繰り広げられる愁嘆場に気付いた何人かが、いったいなにごとかと固唾を呑んでなりゆきを見守っていたが、当のふたりはそれどころではない。
情けない。いまだ止まらない涙をなんとかこらえようと、ぐっと唇を引き結び、小刻みに身体を震わせながら御陵は自己嫌悪に陥った。
迷惑だといわれたくらいで泣くなんて、あまりに情けなさすぎて自分が信じられなかった。
泣いているのは御陵の意思ではない。脊髄反射のように、彼の意識がはたらくより先に身体が勝手に反応していた。
秋月に関しては、そういうことが多い。
はじめて彼と会ったときも、その姿を目にしたその一瞬で、御陵は彼に心を奪われたのだ。理屈ではない。理由を問われても答えられない。
この人が好きだと、御陵の全部が訴えてくる。それがすべてだった。
「すみません、なんか止まらなくて。迷惑なのもわかっています。でも、好きなのはやめられません。すみません」
そういいながら御陵がずずっと鼻をすすると、途方に暮れたように複雑な表情を浮かべた秋月が、ぶっきらぼうな仕草でハンカチを差し出した。
「スーツの袖、濡れるから。拭きなよ」
そっぽを向いて突きつけられたハンカチを、御陵は信じられない思いでこわごわと受け取る。きれいにプレスされたハンカチを手に、彼は無意識のうちに真っ先に匂いを嗅いでいた。洗剤の香りと、微かに秋月の匂いがする。
「君、なにしてるんだ、匂いを嗅ぐな、匂いを!」
すぐさま叱られてしまうが、御陵はほろほろと泣きながらも歓喜のあまりうち震えた。目の前で突然泣かれたあげく告白までされて迷惑きわまりないはずなのに、それでも優しくしてくれる秋月にますます惚れてしまう。
「君はいったいなんなんだ。鬱陶しいくらいに健気かと思いきや、しつこいし変態っぽいし……、本当になんなんだ」
疲れたように唸る秋月の前で、御陵は大きななりを縮めながらしょんぼりと謝る。
「すみません」
もったいなくて、手に握りしめたハンカチを使おうかどうしようかと迷っていると、珈琲とカロリーメイトの空き箱を袋に収めた秋月が、足許に視線を落としたままぽつりといった。
「悪いけど、本当に迷惑なんだ。もう僕にはかまわないでくれ」
ゆっくりと立ちあがりながら秋月は一瞬だけ御陵を見た。珍しく睨むでもなく、だがなんの感情も映さない漆黒の瞳に、御陵は思わず見惚れる。
その形のいい唇が、つかのまためらうように微かに動き、やがて小さくつぶやいた。
「僕に関わると、死ぬよ」