MAIN[学生夏五中心]

□SONG OF A LUNATIC
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 夢を見た。
 真っ赤な血だまりの中を、アイツが歩いていく。僕はアイツの名を呼ぼうとするけれど、声にならない。アイツは振り返らず、どんどんと遠ざかっていく。
 僕は、血だまりに足を踏み入れた。深い。歩くことがままならず、僕は赤に身を沈めた。そのまま、アイツに向かって血の海を泳いでゆく。音もせず、波も立たない血の海を、静かにゆっくりと・・・。



「悟・・・悟!!」
 隣室の傑に揺り起こされて、目が覚めた。嫌な夢を見た。目蓋の裏にまだ赤い情景が残っている。
「悟、今日は任務だろう?私も出るから、駅まで一緒に行こう」
 朝食の後、手早く身支度を整え制服に身を包むと、僕と傑は揃って高専の門を出た。学年が上がり順調に等級も上がるにつれ、僕も傑も単独での任務が増えてきた。今日もそれぞれ別の現場である。少し心細い気もするが、呪術師として一人前に扱われつつあると思うと、誇らしさもある。思い描いた理想に近付けているかは謎だが。
 駅で傑と別れ、僕は電車で現場に向かった。現地には一足先に、監督係の誰かがいるはずだ。その頃には、今朝の夢のことは頭の中から消えつつあった。



 無事に任務を終え、再び電車で高専最寄駅に向かう。駅を出ると、外はもう暗かった。意外と時間がかかったな。あの時ああすれば・・・と今日の行動を思い返していると、さほど大きくもない駅前広場の街灯の下に、見知った男の影を見つけた。
「傑・・・」
 声をかけようとして、とどまった。傑は目を細め、何かを見ている。視線の先を辿れば、なんてことない光景がそこにはあった。会社帰りのサラリーマン、誰かと待ち合わせと思しきOL、部活帰りの高校生の群れ・・・。東京の外れの小さな駅とは言え、それなりに人の乗り降りはあり、人の流れが夜の入り口を彩っていた。

 それらを静かに見つめていた傑の口許が、かすかに動いた。この距離では声は聞こえない。だが、僕の耳には傑の呟きが届いたような気がした。
「猿どもめ・・・」

 傑が大人を嫌っていることは、以前の任務や普段の言動からもなんとなく気付いていた。けれど、それは大人だけではなく、もしかして・・・。



 僕の視線を感じたのか、ふいに傑が斜め後ろを振り返った。
「悟、キミも今帰りかい」
その顔は、もういつもの傑の顔だった。柔らかな笑みを浮かべ、傑がこちらにやってくる。僕らは並んで帰り道を辿った。東の空に、丸い月。
 そう言えば、愛の言葉を月の美しさに例えた作家がいたな。ふと僕の頭に、あの有名な言葉が浮かんだ。けれど、今僕らを追いかけてくる月は、紅く妖しく僕らを照らしている。恋や愛というよりは、呪いに近いような。肩越しに頭だけ振り返り見た月、その色に、僕はふいに今朝見た夢を思い出した。紅い、赤い、海の色。波も無く、ただそこにある、血だまりの・・・。

 後ろを向いたまま足を止めた僕を怪訝に思ったのか、一歩先を踏み出していた傑が戻ってきた。そして、僕の隣で空を見上げた。
「あぁ、月が綺麗だねぇ」
あの作家の話を知ってか知らずか傑の口からこぼれた言葉に、僕は何も返せなかった。駅前で見た傑の横顔に感じた不安が、僕の心に密やかに広がり始める。この不安を、傑に気付かれる訳にはいかない。

「ねぇ、傑。今日は酷かったんだよ。朝から通勤ラッシュにぶつかるし・・・」
 何事も無かったかのように無難な話を口に乗せ、僕は傑の袖を引いた。高専までの上り坂を、取り留めの無いおしゃべりで傑とふたり、足早に歩く。
 あぁ、どうか。今はまだ傑を連れていかないで。
 たとえそれが傑の意志だったとしても。



 帰路を急ぐふたりの後ろで、赤がこっそり微笑んだ。



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